「甲子園22奪三振」で知られる桐光学園・松井裕樹(17)の夏は7月25日、神奈川県大会準々決勝で終わった。しかし、横浜戦で見せた“輝き”は、新たな怪物伝説を予感させた。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が綴る。(文中敬称略)
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神奈川大会の初戦まで、まだ2週間の時間を残していた時期、桐光学園は浦和学院と練習試合を行っていた。
松井は今春のセンバツ王者相手に、9回をわずか108球(18奪三振)で料理してしまう。この試合を視察した北海道日本ハムの大渕隆スカウトディレクターは絶賛するばかりだった。
「自分なりの課題を持ってピッチングし、抑えているんだからたいしたもの。最後の夏に向けて万全の仕上がりではないでしょうか」
松井は、春先に覚えたというチェンジアップを右打者相手に効果的に使っていた。カウントを整えるボールとして、あるいは勝負球として。
そして、私はある左打者に投じた一球を見逃さなかった。インコースに投じられたボールは、打者の手元でキュッと鋭く曲がった。カットボールである。
この日も多くの報道陣が詰めかけていたが、おそらく松井が投じたこのボールに気づいた者は他にいないはずだ。松井がチェンジアップについて言及することはあっても、カットボールの存在を明かしたことはない。
そういえば桐光学園監督の野呂雅之が練習の合間に「夏に向けて秘策がある」と話したことがあったが、右打者に有効なチェンジアップに加え、左打者の打ち損じを誘うカットボールこそが、野呂の言う秘策だったのだろう。
新球が甲子園で披露されることは「幻」となってしまったが、松井はしたたかに夏の大会を迎えようとしていた。野呂はいう。
「今に思えば、春のセンバツに出られなかったのが松井にとっては良かったと思います。身体をゼロから作り直し、ピッチャーとして必要な筋肉を自然な形でつけられるだけの時間がありましたから」
さらには精神面の落ち着きと、視野の広がりを指摘する。
「最近では、3-0で勝っているような試合の2死、ツーストライクからでも冷静に投げられるようになった。走者がいなければ、普通は気を抜いてもおかしくない場面ですが、ゆっくり間を作って、コーナーをついていく。それに捕手ではなく、相手打者の目を見ながら投げられるようになった。どんな球種を待っているのか、打者の心理を考えながらピッチングしているんです」
それにしてもまさかこの時期に新球カットボールを試しているとは思わなかった。明らかにもっと先の世界を松井は見据えている。
※週刊ポスト2013年8月9日号