元参議議員、キャスター、作家、脚本家と様々な顔を持つ中村敦夫氏だが、彼が世間に知られる存在となったきっかけは、1972年に市川崑監修のテレビ時代劇『木枯し紋次郎』で主役に抜擢された俳優としての顔だった。俳優・中村敦夫が振り返る初めてのテレビ時代劇の思い出を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏が綴る。
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中村敦夫の代表作といえばなんといっても、1972年のテレビ時代劇『木枯し紋次郎』(フジテレビ)だろう。「あっしには関わりのねえことで」という台詞に代表される、感情を表に出さない厭世的な紋次郎のキャラクターは高度成長に陰りの見えてきた1970年代初頭の内省的な世相に見事にマッチして、大ヒット番組となった。が、新劇を中心に活動し、時代劇はわずかな脇役の経験しかなかった中村は当初、役柄を掴みきれないでいた。
「今までの時代劇に登場しなかったキャラクターですから、初めはどういう人物か分かりにくかった。市川崑監督も、そういう説明はしてくれませんから。市川さんは自分のイメージした絵から入る人で、僕には『そこで上を向いて立っていろ』『走って、突然止まって、振り向け』とかしか言わない。僕は『なぜ上を向くのか』分からないままやっていました。『紋次郎はこういう奴なのかな』と探りながら進んでいくしかなかった。
基本的に映画やテレビドラマの芝居はリアリズム。現実の再現に近いほど迫力があります。細かいところをカメラは捉えるから、あまり誇張するとおかしく映る。それに演劇だと地声で全部届かせなきゃいけないから、呟く時でも大声になりますが、映画だとマイクロフォンが呟き声でも拾ってくれる。ですから、演劇的な手法を映画に持ち込んだら様式的すぎて、リアリティがなくなってしまう。
僕も最初は戸惑いましたが、『演じる』という気持ちがあまりない方が自然に映るということが段々と分かりました。『紋次郎』が上手くいったのは、まさに『何もしなかった』からです」(中村)
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか。
※中村敦夫氏は朗読劇『山頭火物語』を8月30日~9月1日(日比谷図書文化館 地下コンベンション・ホール)、11月2日・3日(岩波書店アネックスビル3F・岩波書店セミナールーム)で公演予定。入場は予約制。
※週刊ポスト2013年8月9日号