山口県周南市の限界集落で5人を殺害した保見光成容疑者(63才)。5人は、いずれも頭と顔面を鈍器のようなもので執拗に殴打されており、死因は脳挫傷だった。
保見容疑者は、地元の中学を卒業すると上京し、左官工の仕事に従事していた。しかし1994年、両親の面倒を見るために、都会から山あいの集落に戻った彼は、まずそこで小さな村社会が持つ闇を、身をもって知ることになった。
2003年には、今回の事件の被害者のひとり、貞森誠さん(享年71)と飲食店で口論になり、彼に刃物で切りつけられるトラブルも起きている。 こんな軋轢が続く中で、保見容疑者は行き場もなく、ひとりふさぎ込んでいったようだ。
実際、2011年の元日、保見容疑者は地元警察署を訪れ、「集落でいじめられ孤立している。どうしたらいいのかわからない」と、悩みを相談している。 ある住民が、力なくこうつぶやく。
「彼に手を差し伸べようという人がひとりもおらんかった。本当は一度、みんなで話し合って、お互い頭下げてな、神社の落ち葉拾いでもやって仲直りするべきやったんや…。でも、それをせんかった。お互い悪いんや。こんな逃げ場のない集落で一度はじき出されたら、端っこで不満をマグマのように溜めていくしかなかったんや…」
都会の人間には想像もつかないほど濃密な人間関係が存在する地方の集落。そこでの孤立が惨劇と結びついた今回の事件は、横溝正史氏の著作『八つ墓村』のモデルになった、1975年前に岡山県津山市の農村で起きた「津山30人殺し」と重なる。この事件も、総戸数22戸の集落で孤立した21才の青年が、一夜で村人30人を殺している。今回の事件は、まさに“平成の八つ墓村”といえるだろう。
精神科医の香山リカさんは、こう語る。
「他の地域への往き来が困難な少数の集落ですと、みんなで監視しあうような、同調圧力が生まれやすいんです。密着性が異常に強い分、やっかいなよそ者が来ると排除しようとする。
特に高齢者は、“うちの村はこれでやってきた”という感覚が強く、やり方を変えることへの拒否感が大きい。都会から地方にUターンしてきた人間が、新たにそうしたコミュニティーに入るのは、難しいですね」
※女性セブン2013年8月15日号