現在好調の楽天ゴールデンイーグルスの初代監督を務めたのが、中日~西武~阪神で活躍した田尾安志氏。「プロ野球ニュース」でキャスターを務めるなど、柔和なイメージの強い田尾氏だが、実際は、気に入らぬことにははっきりと物申すタイプだという。そんな田尾氏について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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楽天がパ・リーグの首位固めに入った。2005年の球団創設の時を考えれば隔世の感がする。いまや思い出す人も少なくなってしまったが、初代監督は現役時代を中日・西武・阪神で過ごした田尾安志だった。監督生活は1年と短命で、契約期間中に解任されたが、その際に三木谷浩史オーナーから「違約金を払う代わりに球団の悪口を言わないという誓約書を書け」と言われ、「制約されるような金はいらない」と突っぱねたと話していた。
外見は柔らかな印象だが、内面は気骨のある男である。これは同志社大時代の監督・渡辺博之の影響も大きい。同大から中日に1位指名された時のこと。「四国の怪童・中西二世」といわれた高知高の杉村繁(現・ヤクルトコーチ)との雑誌での対談企画を、観光を兼ねて高知でやろうという話になったが、渡辺監督に「大学生が高校生のもとに行くのは筋が違う」と怒られた。彼の秘蔵っ子だけに、田尾は「筋を通す」男だった。
ただ、筋が通らないと感じたら上司にも物申すため、軋轢を生むことも多かった。中日で新人王になるなど活躍したが、西武にトレードされたのは、契約更改の席で当時の球団代表から「お前を使ってやっている」と言われたことに腹を立て、「あなたには雇われていません」と返したことが遠因だった。
移籍先の西武でも“事件”が起こる。1年目のキャンプでの最初の休日、田尾は駒崎幸一らとともに、「気疲れも多いだろう」とルーキーの大久保博元(現・楽天二軍監督)を食事に誘った。大久保だけは門限に間に合うよう帰したが、広岡達朗監督に見つかり、大久保は即二軍行き。納得がいかない田尾は、広岡に直談判した。
「門限までに帰しているし、誘ったのは僕だから、彼を落とすなら僕も落としてください」
そう迫る田尾に、広岡監督は「お前のように出来上がった選手には何も言わんが、若い連中は遊ぶ暇があったらバットを振らないといけない」と諭した。田尾は“確かにそれも一理ある”と妙に納得していたものだ。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号