終戦記念日の8月15日には約20万人が靖国神社を訪れ、英霊に鎮魂の祈りを捧げる。自国を守るために戦死した先人の霊を悼む行為は国家指導者にとって万国共通の責務であるはずだが、日本では残念ながらそうではない。首相の靖国参拝が “政治問題”となってしまった背景をジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する。
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安倍首相は第一次政権で靖国神社を参拝せずに終わったことを「痛恨の極み」と表現しました。靖国参拝の意味もその重みも十分に認識されていることが、その言葉に込められていると思います。心中深く感じた痛恨の極みを、首相が再び繰り返すとは、私は、思いません。
それが8月15日なのか、秋の例大祭なのか、時期は首相ご自身でお決めになるのが一番だと思います。ただ私は日本のために、必ず、首相が参拝されることを心から願っています。しかし同時に、安倍首相が「靖国参拝をさせまい」とする勢力に囲まれ、非常に高い障壁を超えなければならないことを、国民である私たちはしっかり見ておかなければならないでしょう。
今、私たちが日本人として問うべきは、首相の靖国参拝の是非と共に、「首相の靖国参拝を妨害する人々がいる」というおかしな現実ではないでしょうか。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号