親が「余命半年」と宣告された。そのとき子がすべきことは、とるものもとりあえず親のもとに駆けつけることだ──そうみんなが思っている。
だが、「わしは見舞いに行かない」と、『ゴーマニズム宣言』で知られる漫画家の小林よしのり氏は断言する。家族観と死生観に大きな一石を投じる、以下、同氏による禁断の「ごーまん」である。
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<母がガンで余命半年を宣告された。本来なら直ちに帰省して、母の手を取り、同情してみせるのが常識なのだろう。親戚関係は次々に母の病室を訪れ、「よしのりはなぜ帰ってこないのか?」と文句が出ているらしい。だが締め切りがあるから帰れない>
こうブログで書いたところ、想像以上の大きな反響があった。ネットでは当然、「親不孝者」の大合唱で、わしが出演したネット番組では「母危篤、さっさと帰れ」といった匿名の書き込みまで現われた。
母は危篤ではない。わしは危篤なら帰るが、「余命半年」と宣告されただけで、まだ元気なうちは帰らないといっているだけだ。しかし、こうしたネットの反応は、まるでわしの親戚と同じである。これが世間というものなのだろう。
わしがブログで書いたことに、「家族や親戚が読んだらどうする」といった声も聞くが、むしろ逆だ。それこそがブログで書いた理由である。80歳になる母は、父が7年前に死んだため、故郷・博多でひとり、わしの買ったマンションに住んでいる。
わしには妹がおり、また母の姉妹もいるため、医者に「余命半年」といわれたところ、彼らを中心とする親戚連中が次々と母のもとを心配して見舞い、口々に「よしのりはどうした」「なぜ来ない」という話になったという。わしの妻は一度だけ見舞いに行ったが、わしが行かないから非難は止まない。
とはいえ、誰かひとりに滔々と説明したところで、田舎の親戚は必ず自分の意図を加味して伝聞していく。たとえば、わしが妹に伝えたとしたら、妹は絶対に「わしに介護を押し付けたい」という目論みを加味して親戚に広めていくことだろう。
伝聞から伝聞で真意が歪められるのが嫌だから、ブログでいうことにしたのだ。わしは何も二度と博多に帰らないといっているわけではない。仕事の締め切りが立て込んでいるいまは帰れないといっているだけだ。
今年で60歳になるわしに母親がいることが不思議なくらいで、80歳でガンになっても、それはいよいよ寿命が来た、というだけだ。それに、老人性のガンは進行が緩やかだ。余命半年といっても、すぐにどうこうという話ではない。
現に母は、検査入院から退院して2日後にはもうカラオケで大熱唱していた。妹からガンの様子について、「レントゲンで見たら、まだ米粒くらいだった」と聞いた途端に、母は大好きな氷川きよしの追っかけを再開した。マンションにきよ友(きよしファンの友達)を呼んでおしゃべりに興じ、熊本コンサートのチケットを購入するよう妹に頼んだ。
元気どころか、余命を宣告されてから、ますます我欲がマックスになっている。ところが、親戚連中は「ガンで余命半年」と聞いてしまうと、「大変な事態が起きた」「母がかわいそうだ」「何かしてあげなければ」と、一目散に駆けつけて“心配する演技”をする。何もできないくせにである。
余命を宣告された人のもとを親戚が囲んで気遣うという世間のイメージ通りにしたいのだろうが、わしには「世間体」を気にしているようにしか見えない。
しかも厄介なことに、その世間体をわしにも押し付けてくる。親戚連中が「わたしのほうが思っている」「いや、わたしのほうが思っている」という“思っている合戦”を繰り広げるなかで、ひとり帰って来ないわしが「それに比べてよしのりは親不孝者だ」というレッテルを貼られている。
まだ母が元気にもかかわらず、世間体に従って仕事を放りだして直ちに帰省し、母の手を取って「お母さん! 最後まで看取ってあげるからね!」と“演技”しろというのか。なんとしらじらしい。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号