戦前の日本の戦争映画によく赤紙が来る場面がある。そうすると赤紙、つまり召集令状を渡す側は「おめでとうございます」といい、受け取る側は「ありがとうございます」と答える。そして「お国のために戦って来ます」と笑顔でいい、「バンザイ」で見送られ、出征してゆく。
戦前の日本の男性は本当に喜んで赤紙を受け取ったのか。喜んで兵隊に取られていったのか。戦場に行くことが怖くなかったのか。
もちろん怖かった。兵隊には取られたくなかった。正直にそう証言する元兵士の本がある。日本の平和憲法を擁護し続けた憲法学者の久田栄正(一九一五―一九八九)。『戦争とたたかう』は、戦争体験のある久田氏に、戦後生まれの憲法学者が、その体験を聞いた貴重な証言の書。
久田氏は大正四年、石川県の生まれ。金沢の四高から京大に進んだ。時代はすでに戦時体制に入っていた。氏はリベラルな教育を受け、軍隊を嫌っていた。兵隊に取られるのが怖かった。だから大学を卒業し、軍需産業だった小松製作所に就職した。軍需産業なら兵隊に行かずにすむと思った。
しかし、甘かった。昭和十七年(一九四二)、ついに赤紙が来る。結婚わずか九ヶ月目、二十七歳の青年が出征してゆく。
そこから氏は戦場で辛酸をなめる。アメリカ軍の猛攻撃を受けたルソン島では大仰ではなく地獄を見る。兵隊になりたくなかった青年が過酷な戦場で戦わなければならない。どれだけ苦しかっただろう。
そしてこれはひとり久田氏の問題ではなかっただろう。多くの日本兵は口では「お国のため」といいながら、心の底では戦争を望んでいなかったのではないか。無事に日本の家族のもとに帰りたかったのではないか。そう考える方が人間らしい。
「つまり『建前』としての『生の放棄』と『本音』としての『生への執着』。このディレンマの狭間で、多くの兵隊たちが死んでいった」。敗走するルソンの山の中で、飢えのためヘビやカエル、バッタ、ガメ虫まで食べたという元皇軍の兵士の言葉だけに重い。
さらに驚くのは無責任な上官が多かったこと。平気で部下を死地に追いやり自分は安全地帯にいる。兵隊が飢えている時、自分はたらふく食い、ウィスキーを飲む。
「(略)威勢のいいことをいって兵隊たちを死地に追いこむ将校ほど、くだらない人間が多い」。戦争の不条理の極がある。
■評者/川本三郎(評論家)
※SAPIO2013年8月号