現在パ・リーグの首位をひた走る楽天で、初代監督を務めたのが田尾安志氏。現役時代はシュアなバッティングで定評のあった田尾氏のエピソードを、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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新人時代の田尾の練習はすごかった。コーチだった高木守道(現・中日監督)が、「お前そんなにバットを振って壊れないのか」と心配するほど練習の虫だった。その成果もあって中日時代の1982年には、最終戦まで大洋(現・横浜)の長崎慶一と首位打者を争っている。チームもこの試合で優勝を決めた。
この夜のことはよく覚えている。ホテルでの胴上げの後、この年で引退を決意した星野仙一が、全員六本木に集まるよう命じたが、田尾は皆で騒ぐよりも、世話になった人への義理を果たしたいとの理由で、銀座に出かけた。店で静かに嬉しい酒を飲んでいると、近くにいた老紳士が声をかけてきた。
「楽しそうなお酒ですね。何かいいことがありましたか」
「お騒がせしてすみません。野球で優勝したものですから」
田尾がそう答えると、紳士がポツリと返した。
「そうですか、草野球ですか。いい仲間と楽しそうですね」「プロ野球なんです」──そういって笑った田尾の顔を思い出す。スマートな風貌から、プロであることを想像できなかったのかもしれないが、確かに当時多かった体育会系とは異質のタイプの選手だった。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号