金正日総書記の死後、三代目世襲の正統性を強調するために、いま続々と巨大な「金正日像」が北朝鮮国内に建設されているが、その銅像に彫刻されていた“上着”が、短期間のうちに“着替え”られていたという。ジャーナリスト・惠谷治(えや・おさむ)氏の新刊『北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか』(小学館)によれば、莫大な費用をかけて改修されたのには、ある重大な理由があるという。
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(平壌市内の万寿台の丘に)金日成と金正日の父子像が再び姿を現わしたのは、1カ月ほど過ぎた2013年2月10日の旧正月元旦だった。その写真を注意深く見ると、金正日像は建立されたときの姿ではなく、生前に愛用していたジャンパーの上に野戦用ダウンジャケットを着た姿に変身していた。
前年4月に父子像の除幕式が行なわれた際、金日成像はそれまでの「閉襟洋服(人民服)」に代わって、ネクタイを絞め、背広を着て、メガネをかけた晩年の姿に造り替えられていた。その際の金正日像は、メガネをかけ、常用していたジャンパーの上にノーマルコートを着た姿だった。
ジャンパーにノーマルコートという金正日の姿は、外部観察者の私でも違和感を覚えるほどであり、近親者や側近、特に後継者となった金正恩が馴染めなかったとしても不思議ではない。その結果、建立からわずか10カ月後に、金正日像は造り直され、金正日像は野戦用ダウンジャケットを着た馴染みある姿に改修されたのである。
それにしても、なぜわざわざ一度は公開された銅像が改修されたのか。その謎を解くカギは、この野戦用ダウンジャケットにある。
金正日は「先軍政治を本格的に始めるとき」、愛する高容姫(金正恩の生母※注)から「朝鮮の歴史に残す」ためにと、野戦用ダウンジャケットをプレゼントされたというのだ。
つまり、(“着替え”られたダウンジャケットは)金正恩にとっては亡き父母ゆかりのジャケットだったのである。
【※注】日本のメディアでは「高英姫」と表記するものが多いが、惠谷氏は北朝鮮からの帰還者の証言などをもとに「高容姫」と表記している。
※惠谷治著/『北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか』より