この夏、脱北者を描いた1本の映画が韓国メディアで話題となった。タイトルは『48m(メートル)』。中朝国境を流れる鴨緑江の、川幅の最も狭い部分の長さから取ったもので、生死を賭けて北朝鮮脱出を試みる人々の姿を描いている。韓国に赴き、上映を観たというジャーナリストの李策氏が、ブームの背景を綴る。
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映画は、多数の脱北者の体験談に基づいて制作された。密輸業者によって国境警備隊に売られる人々、当局によって家族を奪われた上に国境を目前にして力尽きる日本人妻、ペットの仔犬を追って凍った川を渡ったがために射殺される幼い女の子……。いずれのエピソードも、実話に基づいているという。
脚本も担当したミン・ベクドゥ監督は語る。
「大勢の脱北者の話を聞きながら脚本を書き進めたのですが、証言のひとつひとつが胸に刺さった。涙なしに書いたページは1枚もないほどです」
『48m』が注目を集めた理由はその内容だけではない。映画界の関係者が話す。
「韓国では脱北者に対し、非常に重苦しいイメージを持っている人が多い。俳優陣もほとんど無名。正直、当初は『商業ベースに乗せるのはムリ』というのが業界内での見方だった。ところが、制作・配給最大手のCJエンタテインメントが配給を買って出たのだから驚きました」
実は、この映画の制作資金は、韓国で事業を手掛ける有力な脱北者たちから出ている。さらに、北朝鮮の元外交官や元大学教授学者ら、現在は韓国の政府関係団体に勤務する脱北エリートたちが公開実現に協力した。『48m』が業界最大手の配給によって一般公開に漕ぎつけたのは、韓国政財界に対する彼らのロビイングの成果なのだ。
脱北した元朝鮮人民軍幹部によれば、「北朝鮮においても、脱北者の存在感は大きくなっている」という。
「北朝鮮の富裕層を現す隠語に、『白頭(ペクトゥ)山脈』という言葉があります。白頭山とは朝鮮半島最高峰の名で、つまりは金ファミリーやそれに連なる人々のこと。そして、これに次いで裕福な人々は『富士山脈』と呼ばれてきました。日本の親族から援助を受けられる、在日の帰国者たちのことです。ただ、帰国者と日本の親族は時間が経つにつれて疎遠になっているようで、だんだん援助も細って来た。最近では富士山脈より『ハルラ山脈』の方が、人々の羨望を集めるようになっている」
ハルラ山とは、済州島にそびえる韓国最高峰の名だ。つまり、脱北者が中朝国境のブローカーなどを通じて故郷へ密かに送り届ける「仕送り」が、庶民の懐を潤しているというわけだ。実際、前述した北朝鮮人権情報センターによる調査では、脱北者の半数以上が故郷に仕送りしていることが分かっている。
「脱北者が韓国で成功する道と言えば、少し前までは冷麺屋を繁盛させるぐらいしかなかった。しかし今では、証券や不動産への投資、貿易に進出する人物も出てきている。韓国国内の脱北者は近く3万人を超え、遠からず5万人が視野に入るでしょう。その中から成功者がたくさん出てくれば、韓国の対北政策への影響力も強まるはずです」(前出・脱北支援団体関係者)
もっとも、脱北者が韓国国民の偏見に苦しんでいる構造はいまだ続いている。現状を変えずに、多くの脱北者が成功をつかむのは難しい。
作品中で日本人妻の義母と脱北を図る役柄をつとめ、続編の主役候補にも挙がっている女優のイム・ユジンさんは語る。
「私は以前、日本でモデルとして活動した経験があり、知人に誘われて日本人拉致や北朝鮮の人権侵害に関するセミナーに参加したこともあります。当時は正直、あまり関心を持てませんでした。でも脱北した人々の体験談をじっくり聞き、自分で演じて見たことで、『何かしなければ』と考えが変わりました。今後も出演のオファーがあれば積極的に受けたいですし、より多くの人々に現実を知ってもらいたい」
1本の映画のささやかな成功が、脱北者の未来を拓くきっかけになるのだろうか。