慶應義塾大学病院放射線科の近藤誠医師はいま、がん治療に悩む日本中の患者を救う救世主となっている。だが、2012年12月に出した著書『医者に殺されない47の心得』(アスコム刊)は100万部に迫る大ベストセラーになっているなど、「治療をするな」との意見を持つだけに医師の中では反発も多い。25年もの間、不遇をかこつ身である近藤氏は、なぜ信念を曲げずに闘い続けることができるのか。
近藤氏は1948年東京生まれで、父は小児科の開業医だった。慶應義塾中・高を通じて成績は常にトップクラス。当然のように医学部に進学し、大学でも5年生の成績はトップ。卒業式では全学部の在校生を代表して送辞を読み上げた。
大学5年生の2月に医学部の同級生と“できちゃった結婚”。子育てを妻と一緒にするため、「楽そうだったから」と、卒業後の進路に慶應義塾大学病院の放射線科を選んだ。
当時、がん治療といえば外科的な手術が主流で、放射線科は手術が困難な患者だけが回されてくるマイナーな存在だった。研修医時代の近藤氏は、無惨に切り取られた乳房を眺めながら、「他にどうすることもできない」と思っていたという。
しかし、31歳の時にアメリカに留学。乳房を切らずに残す温存療法に出会ったことが、大きな転機となる。当時、日本では乳がんの全摘出手術が常識だったが、世界的には乳房を切り取っても切り取らずに温存治療しても、生存率はほとんど変わらないという研究・臨床結果が出ていた。ならば、なぜ女性の大切な乳房を切り取る必要があるのか──。
近藤氏は帰国後、自ら温存療法を実践。実の姉が乳がんになった際も、摘出手術ではなく温存をすすめた。その姉は今も健在である。
1990年代に入ると、乳がんの温存療法への認知度がしだいに高まり、一時期は日本の乳がん患者の1%、年間300人が外来で近藤氏を受診したこともあったほどだった。
その一方で、彼は乳がんや以前から研究していた悪性リンパ腫の治療を通じて、他のがんについても研究を始めていた。そうして1990年代はじめに確立したのが、「がんもどき」理論である。
「がんには、他の組織に転移するがんと、いつまでたっても転移しない“がんもどき”がある。初期のがんといっても1センチくらいの大きさにならないと見つからないので、転移するがんなら、その段階ですでに他に転移してしまっていて、手術しても手遅れ。逆に、そのサイズまで転移しなかったものは、その後も転移しないから、治療しなくてもいい。いずれにしても、治療や手術は必要ない。基本的には、がんが見つかっても、本人が痛くもかゆくもなければ、放っておけばいいんです」(近藤氏)
放っておけばいいのだから、見つける必要もない。だから「がん検診」にも意味がないということになる。
氏によれば、治療が必要なのは、固形がんの場合、呼吸困難で見つかったがんや、大出血によって発見された子宮頸がんなど、ごく一部だけだという。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号