野球雑誌『野球小僧』(白夜書房)といえば、野球好きをうならせる数々の企画で多くのファンがいるが、残念ながら『野球小僧』は昨年、休刊してしまった。一芸に秀でたプロ野球選手に、得意分野とは真逆の質問を投げ掛ける名物企画「俺に訊くな!」を、リスペクトを込めてここに復活させて頂き、“世界の代打王”高井保弘氏(68)に「スタメンのとり方」を聞いた。
通算代打本塁打27本の世界記録を持つ高井氏。少ないチャンスをものにしながら、1970年代阪急の同じ一塁手には強打者がおり出番はなかなか回って来なかった。失礼を承知で、レギュラーの取り方を聞くと、「アッハハハ……レギュラーねぇ……」と苦笑。高井氏だって好き好んで世界記録を作ったのではないはずだ。なぜ代打のスペシャリストになったのか。
「誰しも入団した時は、レギュラーを目指してやってますよ。僕の場合、たまたま入団1年目の6月に初出場したのが代打で、それから首脳陣に代打としての信頼を得ていったということになるのかなァ。4回打席に立たせてもらえないなら1回で結果を出せるようにしようと努力したんです。おかげでどんどん守備が下手になっていった(苦笑)」
一方で、代打には代打のよさもあるという。
「確実にチャンスに打たせてもらえるわけだから、考え方によっては美味しい仕事だよね。それで自分なりに研究して、相手ピッチャーのクセとかを見つけた。僕らの時代はビデオがないから、自分の目で観察するしかない。ピッチャーもクセを修正せずにそのまま投げてたからね。当時は個性の集まりだった」
1975年にパ・リーグがDH制を導入。遂にレギュラー獲得のチャンスが訪れる。
「幸い、1977年から3年間やらせてもらって2年目、3年目には3割以上の成績を残してDHでベストナインにも選ばれた。DHは代打よりずっと楽。4回打席に立って、1本ヒットを打って1打席四球なら3割の打率が残るんだから。だけどその翌年から新しい打撃コーチが自分の可愛がる選手をDHに使い始めた。これには納得がいかなかったな」
移籍は考えず、阪急一筋で1982年に引退した。改めてレギュラー取りのためにアドバイスがあるとしたら。
「やっぱり力を持っていないといけないし、そのうえで人間関係をうまく作れる選手がレギュラーに近いと思う。力があっても、お付き合いができない選手は使ってもらえないからねぇ」
またまた苦笑する高井氏であった。
※週刊ポスト2013年8月16・23日号