作曲家のすぎやまこういち氏は、愛煙家たちが集まる「喫煙文化研究会」の代表という横顔も持っている。常々、すぎやま氏は言っている。
<クリエーターにとっては、喫煙はアイデアを生み出す瞬間。たばこの害ばかりが強調される昨今だが、たばこは大切な文化であるという面をアピールしたい>
また、脚本家の倉本聰氏は、講演を依頼された健康フォーラムでこんな発言をして会場を沸かせたという。
<僕は『北の国から』を21年間書いたけれども、これは46万本の『ラークマイルド』と1004本の『ジャックダニエル』によって書けた。それでも百害あって一利なしか!>
発想の転換を促し、仕事や生活に潤いをもたせてきた嗜好品文化。だが、そうした豊かさを主張する声も、「健康に悪いものは文化ではない」とかき消される時代になった。
この夏、大ヒット公開中の宮崎駿監督のアニメ映画『風立ちぬ』は、ついにスクリーン内で登場人物が紫煙をくゆらせる“喫煙シーン”まで問題視された。
「教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、数え上げれば枚挙にいとまがありません。(中略)過去の出来事とはいえ、さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できません」
製作サイドのスタジオジブリに配慮を求める文書を送ったのは、医師らでつくるNPO法人の日本禁煙学会だ。すかさず、冒頭で紹介したすぎやま氏もこう反論した。
<映画の舞台になった昭和10年代の喫煙率に記録はないが、1950年(昭和25)には男性の84.5%が喫煙していた。当時の状況を再現するにあたっては、極めて一般的な描写である>
災害、戦争など大正から昭和にかけての動乱期を描いた同作品。あからさまな戦争場面こそ出てこないが、当時はたばこの売り上げが戦費として国の重要な財源にもなっていた。登場人物たちの設定・シーンからたばこを除いてしまったら、時代背景がリアルに伝わらないと、宮崎監督は考えたはずだ。
経済アナリストの森永卓郎氏は、行き過ぎた“禁煙ファシズム”に怒りを隠せない。
「嫌煙派の人たちが禁煙キャンペーンを張るのは自由ですが、文化や芸術に介入して、歴史事実まで捻じ曲げようとする権利はどこにもないはずです。
過去のあらゆる作品には、良かれ悪しかれ人々の生活や世相を映した喫煙シーンが出てきます。1970年代にヒットしたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『スモーキン・ブギ』もしかり。そんな名曲もなかったことにしろと言うんですかね」
生物学者の池田清彦氏は、「人間の多様性を認めない社会は困った傾向」と指摘し、こう続ける。
「生きているうちには、必ずイヤな人も出てきます。そのすべてに『オレたちはイヤだからやめてくれ!』と言っていたらきりがありません。そこを妥協していかないと社会は立ち行かなくなります。
いまは喫煙者が減っているとはいえ、たばこを吸う行為そのものが悪だと責める根拠はどこにもありません。喫煙者が少数になったから叩くのも大きな間違い。多様性を尊ぶというのは、少数派の権利も擁護してはじめて成立するのです」
今回の『風立ちぬ』をめぐる騒動は、ネット上でも賛否両論が巻き起こり、禁煙学会が懸念する「喫煙シーンが子供に与える影響」を心配する声があるのも事実。だが、前出の森永氏は、さまざまな意見が出たことを逆に評価している。
「これまでエスカレートするばかりだった禁煙運動ですが、今回の映画で非喫煙者からも『禁煙には賛成だが、時代描写を曲げることには反対』との認識が広まった点で、収穫だったと思います。まだ、日本人は冷静さを完全に失ったわけではありませんね」(森永氏)
たばこに限った話ではないが、成熟した民主主義国家だからこそ、「多勢に無勢」の風潮こそなくさなければならない。