阪神タイガーズの本拠地・甲子園球場は、日本でも数少ない天然芝使用の野球場。カクテルライトに映える美しい天然芝が魅力のこの球場を整備する「阪神園芸」の名グラウンドキーパーについて、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。(文中敬称略)
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国民栄誉賞を受賞した松井秀喜が甲子園にやってきた。自分の野球人生のターニングポイントとなったこの場所を第二の人生のスタート地点としたのだが、その時「甲子園のグラウンドはどうしてこうも綺麗なんだろう」と話していた。甲子園の管理を行なうのは「阪神園芸」という阪神電鉄系列の造園会社である。同社には名物グラウンドキーパーといわれた、藤本治一郎がいた。
村山実が初めて阪神の監督に就任した1970年、藤本は関西に上陸中の台風の影響が心配で、暴風吹きすさぶ中、甲子園へと急行した。その際、球場でバッタリ村山と鉢合わせ、それがきっかけで村山は藤本を深く信頼し、色々なことを相談するようになった。
その高いプロ意識故に、選手には厳しい一面もあった。砂塵舞うマウンドで口に砂が入り、ツバを吐いた江夏豊を、「命よりも大切なグラウンドじゃろが」と怒鳴りつけたこともある。以来、江夏はロージンバッグまでそっと丁寧に置くようになった。
川藤幸三も守備位置につくときにラインを踏んだところ、「仕事場を大事にせい」と怒られている。次からはラインをキチンと跨ぎ、一礼してから入るようになったが、その時に藤本の方を見ると、「親指と人差し指で○を作ってくれた」と言う。
プロだからこそわかる、プロの技術を持っていた。翌日の先発投手が投げやすいよう、試合後に1人残って、マウンドの硬さや傾斜を変えていた。まだ予告先発などなかった時代だが、藤本の予想はピタリと当たる。阪神の投手陣は藤本が作るマウンドによって、どれだけ気分良く投げられたことだろう。江夏はじめ阪神の投手陣は「あのオッサンにだけはウソがつけない」と言ったものだ。
※週刊ポスト2013年8月30日号