夏の甲子園の近年の名勝負として思い出されるのが、2006年大会の決勝の斎藤佑樹(当時・早稲田実業、現・日本ハム)と田中将大(当時・駒大苫小牧、現・楽天)の投げ合いだ。とはいえ現在、斎藤は二軍で調整中で、一方の田中はプロ野球新記録となる21連勝を達成した。なぜ、2人はこれほどまでに差が開いてしまったのだろうか。
まずは、今年のプロ野球で規定投球回数に達している投手(8月16日現在、記録は以下同)の高校3年時の夏の甲子園出場歴を見てみよう。セ・リーグは15人中3人(外国人投手2人除く)、パ・リーグは14人中4人と意外なほど少ない。
7人のうち、初戦もしくは2回戦までに敗れた投手が5人。残りの2人は、2009年に準決勝で中京大中京に敗れた菊池雄星(花巻東→西武)と、2006年に決勝戦で斎藤佑樹と投げ合いの末に敗れた田中将大だ。
このデータを見てわかるように、現在、各チームのエース級の投手には、高校生活最後となる3年夏の甲子園経験者が少ない(3年春以前の甲子園出場歴を含めても、セ・リーグは15人中8人、パ・リーグは14人中6人と半分にも満たない)。“甲子園に行って、プロで活躍する”とは野球少年の誰もが描くサクセスストーリーだが、実情は異なっているようだ。
高校3年の夏、斎藤佑樹はたしかに田中将大に投げ勝った。参加4112校のなかで一度も負けることなく、頂点に達した。しかし、甲子園優勝投手はプロで活躍できないというジンクスもある。これには、投げ過ぎによる肩やヒジへの影響もあるが、“燃え尽き症候群”の可能性も否めないだろう。その一方で、田中にとってみれば、この時の敗戦が次なるステップへの原動力となったかもしれない。
人生、負け過ぎてはいけない。しかし、「人生、負けるが勝ち」とはよく言ったもの。若いうちに“負け”を経験することで、人は強くなる。斎藤もまだ25歳。現在は負けているかもしれないが、捲土重来のときは来るかもしれない。