岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市などがかかわった“元祖・暑さ対決”を、41℃連発ですっかり過去のモノにした四万十市。実は高知県には「四万十町」も存在する。双方とも「四万十の名称は譲れない」と張り合っている。
「2005年に中村市と西土佐村が合併した際に、両市村の共通の地域資源が四万十川であることなどから、四万十市と決まりました。正式に名前が決まったのはうちのほうが半年くらい早かったと記憶しています」(四万十市役所総務課)
四万十市ができたのは2005年4月。かたや、四万十川の流域の2町1村が合併して四万十町ができたのは2006年3月と、町のほうがやや遅い。しかし、町側はこう反論する。
「正式に合併したのはこちらのほうが後ですが、名称を決めたのは2004年8月10日の合併協議会なので、こちらのほうが少し早いはず。四万十川の近くで歴史を刻んできた私たちとは、切っても切り離せない名称です」(四万十町役場企画課)
改めて四万十市側に問い合わせると、こちらは内部会議で名称が決まったのは2004年8月16日とのこと。わずか6日だけ「町」のほうが早かったことになる。
中流域に位置する四万十町と下流の河口近くに位置する四万十市。どちらも「四万十」を名乗る資格があることは間違いない。とはいえ、県外からすると区別がつきにくいのだが──。
※週刊ポスト2013年8月30日号