桜木紫乃さん(48才)の作家人生は一夜にして大きく変わった。
7月17日、『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。瞬く間に時代の寵児となって、取材が殺到するほか、サイン会を頼まれたり、新聞各紙からエッセイの執筆依頼が相次ぐ。受賞記者会見で語った「娘に弁当を作る」主婦としての日常もまた変わったに違いない。
物語は、釧路湿原を見下ろす高台に建つ「ホテルローヤル」というラブホテルが、閉館して廃虚と化した後から、40年前のホテル開業前まで順にさかのぼる連作の形で、そこに行き交う人々の少し切ない日常を切り取った短編7編が収録されている。
この舞台となった「ホテルローヤル」は、昨年まで釧路に実在したホテルだ。
「私ね、ホテル屋の娘なんです。『ホテルローヤル』というタイトルも、父が経営していたホテルの名前をそのままもらっています。城のように白い壁にオレンジ色の屋根という派手な外観や、建物の構造、場所も、ばっちりモデルにしました(笑い)」(桜木さん・以下同)
実際の「ホテルローヤル」が誕生したのは、桜木さんが16才になる年のことだった。
「父は、元は床屋でしたが、1億円という莫大な借金をしてラブホテルを始めたんです。私たちの住まいもラブホテルの事務所の上でした。常に他人が出入りして、いろいろな人と出会える場所でもありました。借金を返していくために、私も高校から帰るとジャージーに着替えて、毎日手伝っていたんです」
手伝いとは、お客さんが帰った部屋に入り、生温かさの残る乱れたベッドのシーツを取り換え、使用済みのコンドームを片付け、風呂掃除し、部屋を整えるというもの。
何も知らない10代の少女にとって、どれほど過酷な手伝いだっただろう。何を思いながら、働いていたのだろう?
「ぐちゃぐちゃになったベッドを見て、大人って体を使って遊ぶんだと思った記憶は、ずっと残っています。15分で帰るお客さんもいれば、24時間過ごすお客さんもいる。
15分だから、お風呂かベッドどっちか使ってないだろうと思うと、全部使ってて、びっくりして。15分でもできるし、24時間いてもできること、一体みんな何をやってるんだろうと、お客さんが帰った部屋でひとり考えました。幼い頭で、ラブホテルは“大人の遊園地”なんだ。“大人の遊び”は、人それぞれなんだとも思いました」
すべてを投げ出してしまいたくなったり、大人への嫌悪感を覚えて将来を絶望したことは、なかったんだろうか。
「私はあまり敏感なほうじゃなかったので、嫌な思いとかはなかったですね。ただ、男女の後始末をしながら、漠然と、普通に結婚するのは無理だろうなと思ってました。周囲の目はわかってましたし。
でも、私、ラブホテルの子だからと思われるのが嫌で、校則を破ったこともない、ものすごく真面目な高校生だったんです。長女で、父から『おれの代で借金を返し切らないかもしれない』『お前が継ぐんだ』と何度も聞かされ、将来の選択肢はなく、親の後を継ぐのが当たり前だと思っていました」
子供は親を選べない。両親とはしばらく会っていないとも聞き、「親子の確執」という言葉が脳裏をよぎる。
「実は昨年、父がホテルを廃業したと、このお話をまとめてから知りました。本が出た同時期に、偶然にも建物も解体されたと聞いて、ぞっとしました。現実のホテルがなくなって、この本が残ったなんて、奇妙な縁を感じずにはいられないですよね…」
※女性セブン2013年9月5日号