【著者に訊け】今井彰氏/『赤い追跡者』/新潮社/1785円
全日本テレビの〈西悟〉が、稀代の天才とも〈取材の悪魔〉とも呼ばれる理由──それは〈直感〉だ。
あるとき西は、1983~1984年に当時の厚生省が招集した〈エイズ問題・究明特別チーム〉(通称エイズ会議)の副座長〈榊原仙蔵〉をニセ番組を騙って訪ね、榊原を散々おだてた隙に彼が自宅に隠し持つ極秘文書を盗み出すことに成功。公に存在を消されたはずの議事録がなぜ榊原の手元にあるとわかったのか、期せず実行犯にさせられた部下の〈篠山〉が聞くと、西は一言「直感」と答えた。
〈直感とは客観性と事実を積み上げて初めて芽生えるものなんだ〉
ちなみに彼がでっち上げた番組名は〈シリーズ・日本の公衆衛生を支えた人々〉……。つくづく人が悪い。
〈強奪、脅迫、色仕掛け〉……目的のためなら何でもやる孤高のヒーロー・西悟の初登場作『ガラスの巨塔』から3年。今井彰氏の待望の新作『赤い追跡者』は、薬害エイズ事件の深い闇に挑む西の闘いを描く。取材者というよりは飢えた狼を思わせる無法ぶり、それでいて涙脆くもある彼は取材開始早々、あるキーワードを見抜く。〈一九八三年〉だ。
前作で巨大公共放送局に渦巻く陰謀や政争を描き、西=自身ともとれる栄光と転落のドラマが話題を呼んだ今井氏。実はそれ自体、本作への助走だったといい、今井氏はこう語る。
「薬害エイズという最悪の事件は最も読んでもらえそうにない素材。それを最高に面白い小説として読んでもらうために、もがき、苦しんだ、3年間でした。確かに私はNHKのディレクター時代に『埋もれたエイズ報告』(1994年)を制作し、それが実際の裁判でも証拠に採用されたり、一番組を超えた反響があった。
ただ我々〈番組屋〉の動機は真実に辿り着いた瞬間の快感にあって、ジャーナリズムなんて最終的に真相に迫れば多少許してもらえる程度の存在だと思うんです。正義なんかじゃありえない。
そうした後ろ暗さも抱えつつ、真実に取り憑かれて仕事をした人間がいたこと、あるいは患者やその家族、厚生省や製薬会社や医師に至るまで、あの事件に関わった全ての人間が文面から立体的に立ち上ってくるような三次元の小説を書いてみたかった。要は私自身が人間とは何か、その正体に辿り着きたかったんです」
真相から人間へ。そんな氏自身の変化を映してか、本作は前作より一層の小説的な面白みに富み、中でも出色はその超人ぶりがいよいよ際立つ西の造形だろう。1993年秋、モザンビークで現地のゲリラ組織に潜入し、議長ドラカマの独占取材を成功させた西は、その2か月後、難航するエイズプロジェクトの面々と対峙していた。
患者や遺族を個人的にも支えてきた〈三崎勝代〉は、血液製剤の約9割を輸入に頼りながらエイズ患者の売血が混入した汚染製剤の流入を防げなかった国や、製薬会社との癒着が噂される鷲鼻の医学部教授〈小野田〉を一方的に非難したが、西は感情に走る彼女の思い込みを一蹴し、こう言った。
〈制度の良し悪しの議論などやって、何になる?〉
それが西の制作姿勢だ。予断や憶測を排し、映像として撮り得る事実を信じる彼は、社会正義より〈物証〉で語ってこそテレビマンとばかりに、機密文書を不法入手してまで敵を追い込んでゆく。そんな一番組屋の自負と自嘲が本作を底支えし、後に彼らを待つ巨悪との対決にしても、今井氏は単なる勧善懲悪劇に陥ることを徹底して避けるのだ。
「固有名詞は架空の会社や個人に変えてありますが、経緯はほぼ事実の通りです。つまり血液製剤を必要とする血友病患者の実に4割、約2000人が米国から輸入した汚染製剤によってエイズに感染し、83年6月の時点で感染の危険を知らされながら公表も回収もされなかったのが日本でした。
なぜそんな悲劇が起きたのか、我々は当時何の確証もないまま悪魔として叩かれたあの老教授だけが犯人ではないことも含めて番組にした。しかし今なおそう錯覚する人は少なくなく、メディアや弁護団が悪魔狩りにかまける間にも裁判は長引き、多くの患者が亡くなった。何が事件の真相かも知らされないまま、です。
そうした自分が見たこと―事件の構図から官僚や政財界やメディアが何をしたかも全部、私は虚構の力を借りて再現したかった。思ったことじゃないんですよ。システム批判や憶測は何一つ映らないし、現実を何一つ変えることはない」
(構成・橋本紀子)
※週刊ポスト2013年9月6日号