広島で被爆し家族を失った作者が、自らの被爆体験をもとに1973年に連載を開始した漫画作品『はだしのゲン』。これまで日本中の学校に置かれ、20か国語に翻訳されるなど、戦争・原爆の悲惨さを伝える“バイブル”として読まれてきた。
そんな作品に対し、昨年12月に島根県松江市教育委員会が、市内の全市立小中学校の図書館にある漫画『はだしのゲン』(中沢啓治作)を書庫などにしまい、生徒が自由に閲覧できない閉架措置にするよう求め、市内の全校が応じていたことが今夏に判明した。この事態を評論家・呉智英氏は「極めて拙劣」だと断じる。
呉氏は今回の騒動について、「マンガの表現が過激で残酷だろうが、見る、見ないは個人の判断に任せるべきで、行政が一律に閲覧を制限するのはおかしい。
もしかしたら、島根県議会が『竹島の日』を条例で定めていることもあり、市教委は歴史認識について弱みを見せることを恐れたのか、あるいはネトウヨからの声高な抗議に過剰に反応したのかもしれないが、それにしても拙劣な対応です」と、市教委を批判する。
そして、返す刀で「そもそも閉架措置を求めた側もそれを批判した側も、作品の本質をまったく理解せず、狭量な主張をしていることが問題」と一刀両断。作品に対する読みがお粗末すぎると、発想の貧困さを憂う。
確かに本作品には、政治的に見解が分かれそうな話題が扱われているシーンが少なくない。例えば、作品の終盤では、昭和28年3月に中学校の卒業式を迎えた主人公ゲンの口から、天皇や国歌、旧日本軍に対する激しい批判の言葉が語られる。
〈君が代の君は天皇のことじゃ〉〈天皇は戦争犯罪者じゃ〉〈日本軍は中国 朝鮮 アジアの各国で約三千万人以上の人を残酷に殺してきとるんじゃ〉〈クビをおもしろ半分に切り落としたり〉〈妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出したり〉〈女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり〉……といった具合だ。
呉氏が話す。
「『はだしのゲン』を批判する側は、そうした場面を読んだ子供たちが〈間違った歴史認識〉を植え付けられ、成長して反日的な人間になると危機感を抱いているようです。
しかし、それは馬鹿げた妄想にすぎません。当時、被爆者の中にはゲンのような主張をする人もいたことは確かでしょうから、それを描くことは不思議でもなんでもありません。加えて、そうした主張や場面はこの作品のもっとも本質的な部分ではない。なのに、こうした作品のごく一部の描写をもって全体を否定するのはあまりに狭量な解釈すぎます」
※週刊ポスト2013年9月6日号