マー君こと楽天の田中将大が、開幕から無敗の連勝記録を続けている。その数22。田中に破られるまでプロ野球の日本記録を保持していた故・稲尾和久氏について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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楽天・田中将大が、松田清(巨人)、稲尾和久(西鉄)の持つ連勝記録20を抜いて、日本新記録を作った時、一番先に浮かんだのが「神様、仏様、稲尾様」の顔だった。「マー君、神の子、不思議な子」が、神様を抜いてしまったのかと感慨深かった。
抜群のキレのスライダーと、「外角ボール1個分の出し入れ」ができる、天下一品の制球力が稲尾の持ち味。あれは今でも、誰にも真似できないと言われるほど素晴らしかった。同じく記録もすごい。1956年に21勝を上げて新人王を獲ると、1957年から3年連続30勝を上げ、西鉄3連覇に貢献。1961年には42勝のシーズン最多勝タイ記録まで作っている。
「神様~」の由来となったのは、西鉄の3連覇がかかった1958年の日本シリーズである。第5戦、9回に追いついた西鉄は、延長10回に先発・稲尾のサヨナラ本塁打で勝利。中継を授業中に鉱石ラジオで聞いていた中学生の私は、その瞬間思わず机で万歳をしてしまい、罰として1週間、便所掃除をするハメになった。
西鉄は3連敗の後4連勝で、稲尾はサヨナラ弾に加えて4勝すべてをあげる活躍。カネで巨大戦力を集めた巨人を相手にした大逆転劇に、どれほど溜飲が下がったことか。
そんな話を稲尾にしたことがあった。高知の中心繁華街・帯屋町で、ワケあり夫婦が営んでいた、クエ料理が旨いと評判の小料理屋でのことだ。店主は稲尾の飲み方が気に入っていた。1人で来ては静かに飲み、3000円をポケットから出すと、「お釣りはいいよ」と帰って行く。稲尾は「若い時は自分1人で天下を獲っている気になっていたね」と笑っていた。
「俺が本塁打を打ってベンチに戻ってから、“先輩、もう打たなくても大丈夫ですから”なんて生意気な口を利いたことがあったのよ。すると次の回、ショートの豊田(泰光)さんはわざとエラーするし、サードの中西(太)さんは一塁に暴投する。無言のうちに、野球は1人でやるもんじゃないということを教えてくれていたんだよ。
四球を出してピンチを招いても、誰もマウンドに寄ってきてくれなかった。“自分で蒔いた種は自分で責任をとれ”ってね。だけど20連勝記録を達成した時には、俺を突き放して教えてくれた連中が本当に喜んでくれて嬉しかったよ」
※週刊ポスト2013年9月6日号