ゴール後、川内優輝(26)は一人だった。18位に終わった世界陸上モスクワ大会・男子マラソン(8月17日)。がっくりとうな垂れ、ふらふら彷徨うと、係員に両脇を抱えられて、何とかスタンド下の退避ベンチに座る。走り終えていた日本の選手たちは、冷ややかに背を向けていた。ノンフィクションライター・高川武将氏が“孤独のランナー”の深奥に迫る。
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川内に走るきっかけを与えたのは、母・美加さんである。
小学1年のとき、マラソン大会に本人の意向を聞かないまま応募したのが始まりだ。1500メートル男子の部で100数十人中の5位。以来、母との練習が日課になる。ただそれは、母と息子の楽しい語らいのひと時とはかけ離れていた。
場所は近所の公園、1周500メートルのコース。3周を走らせ、母が毎回タイムを計る。条件は前日より1秒でも上回ること。要は毎日がタイムトライアルなのだ。
前日の記録を上回れば練習は終了となり、アイスやケーキを買ってあげる。1秒でも下回れば、罰ゲームとして500メートルを走らせる。予め設定したタイムを下回れば、もう一度。それを5回は繰り返すのだ。
ベストタイムなど毎日出るわけがない。罰ゲームが圧倒的に多かった。それでもタイムを上回れなかったときは、その場に置き去りにした。川内は一人、家まで3キロの道を歩いて帰らねばならない。
走るたびに、息せき切って芝生の上にぶっ倒れた。母は容赦ない怒声を浴びせる。
「早く起きなさい。草がついたまま車に乗る気なの!?」
そんな光景を見た通りすがりの人が、「虐待じゃないか?」と咎めても、「うちの教育方針ですから」と母は言い放った。
「最後まで諦めないで走れ!」
それが唯一、母が与えたアドバイスで、そんな日々が6年間も続いたのだ──。
※週刊ポスト2013年9月6日号