“神様”稲尾和久を超える連勝記録を達成した楽天・田中将大(24)にとって、元監督である野村克也氏(78)は最大の恩師といえるだろう。入団時から田中に「野球のイロハ」を叩き込んできた名将は、球界の大エースに成長した教え子をどう見ているのか。意外にも野村氏が語り始めたのは、田中への“後悔”だった──。
* * *
あれは、田中将大が入団2年目の時のことだった。田中は1年目を11勝7敗の成績で終えた。迎えた2年目のキャンプ、私が「今年はどういうテーマを持っているのか」を訊ねると、彼はこう答えてきた。
「ストレートで、空振り三振が取れるようになりたいです」
その時の私は、「若いんだからそれでいいんじゃないか」と賛同してしまった。だが、いま思えばこれは大きな間違いだった。
投手の生命線はフォームである。バランスのとれたフォームからこそ、緻密な制球力が生まれる。だがスピードを追求すると力みが生じ、フォームに微妙な狂いが生じる。
そもそも野球において、「足が速い」、「遠くへ飛ばせる」、そして「球が速い」という3つの能力は天性の才能によるものだ。努力してどうなるものではない。それをわかっていながら、なぜあの時、スピードを求める彼の考えを認めてしまったのか。19歳という若さだからイケるだろう、とでも思ってしまったのかもしれない。
だが田中が2年目、わずか9勝と低迷したのは、間違いなくそれが原因だった。発展途上の投手にコントロールを疎かにさせたことを、私は今でも悔やんでいる。
ただ「失敗は成功のもと」というが、田中もその苦い経験から学んだことは多かったと思う。年々四球が減っているのを見ても、この「回り道」は決して無駄ではなかったのかもしれない。
田中が入団してきた時、私はこのまま一軍で使い続けていいものか悩んでいた。彼のためにも、一度は二軍で鍛えられた方がいいのではないかと思ったのだ。
私は現役時代、二軍での生活を2年半経験している。二軍経験の何がいいかというと、「二度とここ(二軍)に戻りたくない」という気持ちが生まれるのだ。プロとして野球をやっているのに、スタンドはガラガラ。こんな寂しいことはなかった。二軍では3割を超える打率を残したが、いくら打ってもまったく自信がつかなかった。そういう気持ちを、まだ若いうちに田中に経験させるべきではないかと思ったのだ。
それでも田中を使い続けたのは、チーム事情からだった。楽天はできたてのチームで、他球団を解雇された選手の寄せ集め。特に投手がいなかった。それに田中には、新人ながら「これは使える」と思えるものがあったからだ。
若い投手が入団してくると、どの監督もストレートに惚れて「使える」という判断をする。しかし私は田中のストレートではなく、スライダーに惚れた。長い野球人生、私は色々な投手の球を見てきたが、彼のスライダーは稲尾和久(西鉄)、伊藤智仁(ヤクルト)に匹敵するほどのものだった。
投手としてプロでやっていくには、制球力に加え、打者が嫌がる球種を1つでも持っていることが条件となる。田中のスライダーはまさにそれだった。初めてブルペンで見た時から、「これは使えるんじゃないか」と思ったのを覚えている。
※週刊ポスト2013年9月8日号