明治維新から続く会津-長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。歴史的な因縁から、名産品の取り合いまで……。第三者にはどうでもいいことでも、当事者たちにとっては郷土の威信をかけた闘いなのだ。
NHK大河ドラマ『八重の桜』は、明治維新を「敗者」である会津藩の視点から描いたものだ。だからこそ、新政府軍の中核である長州藩が会津藩に対して行なった仕打ちは、非常に残酷なものとして描写された。
驚くべきは、長州(山口県)と会津(福島県)の遺恨が、約150年の時を経た現在に至ってもまだ続いているということである。
2007年には山口選出の安倍晋三首相(前任時)が会津若松市を訪れ「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と語った。2011年7月には、東日本大震災の義援金などへの謝意を伝えるため会津若松市長が萩市を訪れたものの、市長は「和解とか仲直りという話ではない」と述べた。
「明治時代に制定された会津を通る国道が49号線という縁起が悪い数字なのも、長州の嫌がらせだ」
こんな話を真顔で語る住民がいるほど、会津人の長州への恨みは深いのである。
この会津-長州の相克は全国的に有名だ。しかし、日本各地を見ると、都市同士が「許せない」と憎み合い、「ウチのほうが上だ」と火花を散らす「郷土紛争」とも呼ぶべき事態が多発している。
「『桜田門外の変』で水戸浪士と一緒に大老・井伊直弼公を襲撃し、“井伊の首を切った家系”を自慢にしている薩摩浪士の末裔が、こともあろうに井伊家のお膝元である彦根市の市長選に立候補した。彦根市のアイデンティティーを守るために絶対に許せませんでした」
こう語るのは、滋賀県彦根市の前市長・獅山向洋氏(72)だ。獅山氏が名指しで批判するのは、今年4月の市長選に新人として立候補した元参院議員秘書の有村国知氏(39)のこと。現職だった獅山氏は、「現代の『桜田門外の変』。立候補はとうてい容認できない」という内容のピンク色のビラを約4万枚も各戸に配布する騒ぎとなった。
有村氏は、「人の生まれは自分では決められない。市長選とはまったく次元の違う話を、自分の利益のために利用している」と真っ向から対立。彦根藩主で幕府の大老だった井伊直弼の暗殺から153年。それが市長選の“争点”になったのだ。
両者の一騎討ちと思われた選挙は意外な結果に。得票では獅山氏が有村氏を約200票上回ったが、当選したのは別の候補だった。
「相討ちやな。だけど、全然後悔はしていない。もし有村氏がうっかり当選してしまったら、彦根が全国から笑い物になるところだった。支援者には“選挙のことだけ考えろ”と怒られましたけどね」(獅山氏)
彦根市の有名ゆるキャラ「ひこにゃん」は、二代目藩主・井伊直孝を難から救ったという白猫がモデルという。ぜひこの騒動について意見を聞きたいものだ。
※週刊ポスト2013年8月30日号