桜木紫乃さん(48才)の作家人生は一夜にして大きく変わった──。7月17日、『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。瞬く間に時代の寵児となって、取材が殺到するほか、サイン会を頼まれたり、新聞各紙からエッセイの執筆依頼が相次ぐ。受賞記者会見で語った「娘に弁当を作る」主婦としての日常もまた変わったに違いない。
1965年、釧路市に生まれた桜木さんはどんな道をたどって直木賞作家になったのか──。
「作家になりたいと思ったのは中学生の時。原田康子さんの『挽歌』を読んだのがきっかけです。釧路を舞台にした小説で、自分が日頃見ている町を、人を、こんなふうに描くことができるんだと衝撃を受けました」(桜木さん、以下「」内同)
作家となるために、いよいよその一歩を踏み出すのは、結婚して家を出て、子供ができてからだ。夫の転勤で網走に住んでいた時、赤ん坊の長男が寝ている間に図書館に走り、さまざまな本を借りては読んだ。
「たまたま花村萬月さんが芥川賞をとられ、『10年やれば何かになる』とおっしゃっているインタビュー記事を読んで、ドキッとしたんです。私も10年書こうと決意しました」
俄然エッセイや詩を書き始めたのだという。作品はすぐにたまった。
「釧路に戻って、娘が生まれた頃、結婚10周年だったんですね。亭主が、スイート10ダイヤモンドの代わりに、詩集を一冊自費出版させてくれたの。その詩集を『北海文学』の主宰者、鳥居省三さんに送ったら、『同人になって小説を書いてみなさい』って」
『北海文学』は、原田康子さんを世に出した同人誌。鳥居さんは、原田さんを見出した人だそうだ。
「私、『頑張ります』って。30代になってすぐでした。子供が寝た後の食卓で、小説を書き始めたんです」
2002年、小説家の登竜門とされる「オール讀物新人賞」を受賞し、見事文壇デビューを果たした──と書けば、順風満帆なようだが、そう甘くなかった。受賞作を出版にこぎつけるまで、丸5年かかった。
その間、編集者に作品をいくら送っても相手にされなかったり、ようやく相手にされても酷評が返ってきたり。それでも桜木さんは筆を折らなかった。そして今回──「写実絵画のような作品を書きたい」という桜木さんにとって、『ホテルローヤル』は、家業と向き合い、そして乗り越えた「私にしか書けない」作品となった。
現在は、公務員の夫と大学3年の息子さん、高校1年の娘さんとの4人暮らしだ。その暮らしぶりはといえば、
「6時半に起き、家事をして9時から執筆。お昼をすぎると能率が低下するけど、4時までは仕事時間。その後は再び主婦に戻ります」
※女性セブン2013年9月5日号