「ドドドドドドドドッ!」。物凄い爆音を響かせて中国人民解放軍の軍用ヘリが旋回し、機銃が火を噴く。地上の100人近いウイグル族住民に容赦のない無差別銃撃が十数分間も続けられた。辺り一面は鮮血に染まっていく。
6月26日早朝、新疆ウイグル自治区の南部に位置するピチャン県ルクチュン鎮(村)で起こった凄惨な虐殺事件の一コマだ。日本ウイグル協会会長を務めるイリハム・マハムティ・世界ウイグル会議副議長が、住民らの証言として本誌取材に初めて明かした。ジャーナリストの相馬勝氏が直撃した。
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中国当局の発表では、この事件は武装したウイグル族の“テロリスト集団”数十人が地元警察の派出所や鎮政府、個人商店などを襲撃し、車両を焼き払って警察官らを殺害したものだとされている。死者はウイグル族の首謀者11人を含め35人。うち漢族(中国人)は8人という。
確かに住民と当局の大規模な衝突はあったが、マハムティ氏の情報によると、犠牲者35人は警官2人を含めすべてウイグル族で、当局の言う首謀者11人の遺体はなかった。これは35人の合同葬を司ったイスラム教司祭の情報だという。「“首謀者”は、おそらく当局が連れ去ったのだろう。遺体は所持品などを調べ、生きている者は拷問などで徹底的な取り調べを受けたはずだ」(マハムティ氏)。
米議会が出資する「自由アジア放送」によると、2日後の6月28日午前にも、ホータン地区カラカシュ県近くで約100人の武装集団が派出所を襲撃。中国側が鎮圧したものの死傷者数は不明。さらに、流血の事態に怒ったウイグル族住民ら数百人が同日夜、デモ行進して警官隊と衝突、多数の死傷者が出た。その5日後には同県で再び数百人規模のデモが行なわれ、警官隊の鎮圧作戦で10~15人が死亡し、約50人が負傷した。
一方、香港からの情報によると、自治区の首都ウルムチでも6月28日、武装警察の駐屯地や派出所などへの襲撃事件が発生したというが、中国当局は発表していない。
わずかな期間にこれだけの騒乱事件が起きたのは、7月5日が2009年に197人の犠牲者を出したウルムチ大規模騒乱の4周年に当たることも大きな要因とみられる。
6月26日に大規模騒乱が発生したルクチュン鎮があるトルファン地区は、シルクロードの旧跡が多く、観光で潤っていることもあって、これまで騒乱事件はなかった。
「4月下旬に発生した7歳のウイグル族児童殺害事件が騒乱のきっかけになった」とマハムティ氏は明かす。
3人の児童が工場に遊びに行った際、1人が泥棒に間違われて捕まった。他の児童の通報で両親を含む住民が工場に行くと、児童はすでに殺されていた。犯人の50代中国人労働者は逮捕されたが、「精神異常」と診断されて釈放され、通常の生活に戻った。住民らが抗議デモを行なうと、当局は数十人を拘束した。
「拘束された者の釈放を求め、武装した住民らが派出所や鎮政府などを襲ったというのが事件の真相だ。当局は7月5日の4周年を前に、騒乱が自治区全体に拡大するのを恐れて軍用ヘリまで動員した」とマハムティ氏は憤慨する。
中国当局は数か月も前から「テロリストの摘発」の名目で多数のイスラム寺院を閉鎖あるいは破壊、信者の自宅を家宅捜索して逮捕するなど人権無視の暴挙に出たという。男性がヒゲを伸ばす、女性がスカーフを着用するといったイスラムの風習を禁じたほか、コーランを持っているだけで拘束された者もいた。教育現場ではイスラム教やウイグル語が排除され、授業はすべて漢語(中国語)となった。
※SAPIO2013年9月号