明治維新から続く会津―長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。歴史的な因縁から、餃子や芋煮といった名産品の取り合いまで……。当事者たちにとっては郷土の威信をかけた闘いなのだ。
「青森や弘前は津軽藩で、八戸や下北半島は南部藩。南部は岩手県の久慈市のほうに親近感がある。だいたい、戊辰戦争であっさり官軍に寝返った津軽藩は信用できない」(八戸市在住・60代男性)
と、同じ青森県なのになにやら冷たい雰囲気が漂う津軽地方と南部地方。
「県庁所在地は青森市にあるし、青森のねぶたや弘前のねぷたは世界的に有名。りんごはもちろん、米もこちらのほうがよく穫れる」(青森市在住・50代男性)
青森市民が、こう我こそが上だと主張すると、
「八戸には八戸三社大祭がある。新幹線の開通だって八戸が先だった。それに津軽はフジテレビが映らないが、南部地方の一部はフジ系の岩手めんこいテレビが映る」(前出・八戸市民)
と、テレビのチャンネル数まで持ち出して対抗心をメラメラ燃やしている。
もともと津軽地方は南部藩の支配下にあったが、1588年に南部藩の家臣が独立し、豊臣秀吉に津軽地方の支配権を認めさせた。戊辰戦争の遺恨から、南部の人のなかには「津軽の人間とはつき合わない」と公言する人も多い。
かたや津軽側にも、合併で青森県ができたときに南部藩の借金を肩代わりさせられたことへの恨みが残る。八戸-青森(新青森)間は新幹線でわずか25分だが、心の距離はなかなか縮まらないようだ。
※週刊ポスト2013年8月30日号