元歌手で、宇多田ヒカルの母である藤圭子さんが8月22日、都内のマンションから飛び降り自殺をはかり、搬送された病院で亡くなった。62才だった。
2002年にヒカルが写真家で映画監督の紀里谷和明(45才)と結婚すると、藤さんは全ての縁を断ち切るようにひとり放浪を始めたという。そして2006年3月、藤さんはニューヨークの空港で所持品検査でひっかかってしまう。捜査官が疑ったのは、手荷物のバッグに入った現金5000万円が理由だった。
「藤さんは人間不信から銀行も信用できず、普段からキティちゃんのバッグに札束をいくつも入れて持ち歩いていたんです」(スポーツ紙記者)
帰国後、彼女の口から語られたのは信じられない生活だった。
「5年間で世界中を旅した。ファーストクラスの飛行機代、ホテル代など5億円使った」
藤さんの知人はその背景をこう説明する。
「藤さんは夫の宇多田照實氏とは別居中でしたが、ヒカルさんの事務所の取締役だったので、1億7000万円ほどの年収があったんです。家族や友人との関係が途絶えてしまって、その孤独を埋めるために大金を使っていたんだと思います。ギャンブル好きと言われていたけど、いつもつまらなそうなんですよね。照實さんのことも嫌がって全く話そうとしない。ただ唯一、ヒカルさんについては嬉しそうに、“あの曲はもっとこうしたほうがいい”とか次から次に話し始めるんです」
そして、孤独を埋めるもうひとつのものが「電話」だった。藤さんの別の知人はこう話す。
「藤さんは事情があって、携帯電話を持っていなかったんですが、公衆電話からよく電話をかけてくるんですよ。寂しかったんでしょうね。“会える人がいない”っていつも嘆いていました。昼夜問わずそれは十数分で終わることもあれば、3時間も4時間も話し続けていることがありましたね」
そんな電話は照實氏の元にもかかってきていた。機嫌よく話していたかと思えば、覚えのないことで理不尽な罵声を浴びせられたりもした。
「照實さんもヒカルさんも藤さんを心配していたんですが、彼女の中でふくらんだ被害妄想はとんでもなく大きくなっていて、とても一緒にはいられなかった。それで照實さんは、もともと藤さんのマネージャーをしていた男性にお願いし、6年前から彼女の行動を見ていてもらうようにしたんです。
自殺したり、間違いを起こしたりしないための監視役みたいなものでした。藤さんもいい気持ちはしなかったでしょうが、話し相手がいないよりはましと思ったのかもしれません」(芸能関係者)
至る所に監視カメラが設置され、玄関ロビーにはコンシェルジュがいる冒頭のマンション。藤さんが暮らしていた約74平方メートルの2LDKの部屋の購入価格はおよそ6000万円ほどだった。2006年に照實氏と最後の離婚をしてから亡くなるまでの最後の6年間、藤さんはこの部屋で“監視役の男性”と過ごしていた。ほとんど外出することがなかったため、目撃談はわずかしかないが、「ハイヒールをはいたきれいな女性だった」と言う人もいれば、「年齢以上に老けこんでいて、もう面影もなかった」と両極端の証言が。それほどまでに藤さんの状況は起伏が激しかったといえよう。
※女性セブン2013年9月12日号