明治維新から続く会津-長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。それはネットで「グンマー」などと言われる 群馬県の前橋市と高崎市でも対抗心が丸出しになっている。
群馬県が成立した当初、県庁は前橋に置かれていたが、高崎城が当時の兵部省の管轄に入ったため、高崎に県庁が移転。
すると今度は生糸の輸出で財を成していた前橋側が巻き返しをはかり、前橋城跡に県庁を誘致することを明治政府に提案し、移転費用を自ら用意することで、了承させた。
しかし高崎も黙ってはいない。高崎市は1982年に上越新幹線の停車駅の誘致に成功する。
「歴史的に見ても、群馬の中心は高崎。福田、中曽根、小渕と歴代総理は高崎の選挙区から出ている。ビックカメラ発祥の地は高崎だし、ヤマダ電機の本社も高崎にある。経済力の差は歴然です。
それに前橋は全国の県庁所在地のなかでも2番目に地価が安い(最下位は鳥取)。比べること自体がおかしい」(高崎市内の商店主)
と、高崎市民は得意気だ。前橋市民も、
「県庁はもちろん、日本銀行の支店も、国の出先機関や大手銀行、県の施設もみんな前橋にある。詩人の萩原朔太郎も前橋の出身だし、行政や文化の中心は間違いなくこっち」(前橋市在住・30代男性)
と譲らない。しかし、前橋市民の中には、「前橋ではひときわ高くそびえる県庁しか目立つ建物がない。交通機関の面で劣っていることは感じている」と“負けを認める”声も。
県庁所在地と新幹線停車地の勝負に決着はつくのか。
※週刊ポスト2013年8月30日号