明治維新から続く会津-長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。歴史的な因縁から、餃子や芋煮といった名産品の取り合いまで……。当事者たちにとっては郷土の威信をかけた闘いなのだ。
約300年前の仇討ち事件が尾を引いているのが、兵庫県赤穂市と愛知県西尾市吉良町の対立だ。
「僕たちが子供の頃は、学校の試験で四十七士の名前を書かされたもの。赤穂市民で四十七士の名前がいえない者はおらん。12月14日の義士祭は学校もすべて休み。年末は忠臣蔵を見んと年が越せん」(赤穂市在住・70代男性)
「吉良町では忠臣蔵は上映禁止です。映画や舞台の上映もご法度で、NHKの大河ドラマや2時間ドラマで忠臣蔵を扱ったものは、吉良町では視聴率0%といわれている。忠臣蔵の内容は町民には受け入れがたい」(吉良町在住・60代男性)
1994年製作の映画『四十七人の刺客』(東宝)の公開時に吉良邸の表門のセットが赤穂市で展示された時には、「たとえ映画のセットでも赤穂市に吉良の屋敷などありえない」という苦情が寄せられ、撤去される事態も起こった。
だが、2011年に吉良町が西尾市に編入されて以降、赤穂市と西尾市の間で互いに物産店を出店するなどの交流が始まった。西尾市の商工観光課職員が話す。
「赤穂市の義士祭に3回ほど参加させてもらったが、中には“よく来れたね”というご老人もいました。交流するようになってからは、吉良上野介の血のりのついた首が義士祭のパレードから外されたとも聞いています」
300年ぶりの“手打ち”も近い?
※週刊ポスト2013年8月30日号