白、黄色、ピンクなど色とりどりの花に囲まれた祭壇には、優しく微笑む女性の遺影が飾られていた。天皇・皇后両陛下からは白と黄色の花束と供物が、そして皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん(紀宮さま)と夫・黒田慶樹さんからもお花が供えられた。
遺影の女性は、8月20日、心不全のため亡くなった元東宮女官・和辻雅子さん(享年87)。8月27日、30年以上の長きにわたって天皇家に仕えた女官の通夜がしめやかに営まれた。
「彼女は亡くなる直前まで、天皇皇后両陛下のご体調、そして皇室の未来を心から案じていました」
無念そうな表情を浮かべながら、こう話すのは、和辻さんと親しかった知人だ。哲学者・和辻哲郎氏の長男・夏彦氏の妻だった和辻さん。そんな彼女が宮内庁に入ったのは、1979年のことだった。
「ご主人を亡くしたのをきっかけに宮内庁から声がかかり、東宮女官として当時、皇太子妃だった美智子さまにお仕えすることになったんです」(前出・知人)
1979年から1984年まで東宮女官、1985年からは宮内庁御用掛や侍従職御用掛を務め、美智子さまからの信頼の厚い人物だった。そのため、和辻さんは国内外のさまざまな公務に同行することも多かったという。
仕え始めて1年ほどが経った1980年1月、両陛下(当時は皇太子・同妃)は大相撲初場所をご覧になった。しかし、このとき美智子さまは風邪を引き、体調を崩されていた。苦しまれる美智子さまに和辻さんは、
「ご無理をなさって、風邪が悪くなるといけませんから、お出ましをお控えになってもよろしいのではありませんか」
と申し上げたという。すると、美智子さまは、
「お相撲さんをはじめ、観戦している人もテレビを見ている人も、どれほどの人々が待っていてくれるか、それを思ったら、休んでもいいでしょうというのはとんでもない考えなのよ。あなたは根本的に考え違いをして、何もわかっていないのでは…」
と和辻さんを叱ったという。
まだ宮内庁に入って間もなかった和辻さんは、この美智子さまのお言葉で、皇族のあり方や役割の重さを痛感。公務に対する美智子さまの姿勢にただただ感服したという。そんな和辻さんは、美智子さまのよき相談相手になっていった。
※女性セブン2013年9月12日号