一体、何が健康に良くて何が健康に悪いのか――。そんなことに振り回されて余計にストレスを溜め、不健康になるのは馬鹿らしいと思った人も多かろう。
米サウスカロライナ大学の専門チームらが、約4万4000人を対象に17年間にわたって追跡調査をした「コーヒーの飲用習慣」。その結果、55歳未満でコーヒーを1日平均4杯以上飲む人は、飲まない人に比べて死亡率が男性で1.5倍、女性では2.1倍に高まることが分かったというのだ。
日本ではこれまでコーヒーに含まれるポリフェノールの一種に血圧降下作用があり、肝臓がんにかかりにくいとして、厚生労働省の研究班の“お墨付き”まであったはず。それが一編の疫学レポートによっていとも簡単に覆される。そして、人々はわずかな健康不安も解消しようと、次なる危険因子の排除に向かう。
「健康づくり運動は終わりのない異常探しで、アリ地獄のようなもの」と話すのは、健康社会学を専攻する香川大学教育学部教授の上杉正幸氏である。
「現代の健康づくりを支えているのは、『異常がないのが健康である』という価値観です。この風潮に乗ると、大きな異常がなくなると、次は小さな異常が気になり始めて、結局は異常がない健康には行き着かないというパラドックスに陥ります」(上杉氏)
体に悪いといわれるものが取り沙汰される一方、健康に良いといわれる食品がもてはやされ、一大健康ブームを形成することもよくある。紅茶キノコ、ココア、ヨーグルト、赤ワイン……。最近ではダイエット効果があるとテレビで宣伝されたサバ缶が店頭から消えた。
だが、それらもいつコーヒーのように悪者に転化してもおかしくない。
「かつてアガリスクが、がん抑制物質を含んでいると言われてブームになりましたが、その後、がん促進物質も含んでいると指摘されて、たちまちブームは去りました。でも、どんなに医学が進歩してもすべての危険因子を排除することは不可能ですし、慢性疾患を引き起こす老化を止めることはできません。
例えば、動脈硬化の危険因子といわれているものの中には、喫煙、肥満、アルコールの多飲、運動不足などとともに、年齢が挙げられています。いくらタバコや酒をやめて運動をしたからといって、老化によって動脈硬化が起こりやすくなる事実は曲げようがないのです」(前出・上杉氏)
こうしてみると、「あれはダメ、これもダメ」とヒステリックに異常のない生活を目指すよりも、ある程度の異常を受け入れて人生を充実させたほうが、むしろ精神的にも健康なのかもしれない。独協医科大学放射線科助教の名取春彦氏もこう話す。
「例えば健康にいいとされるウォーキングは、イヤな仕事で歩きまわればストレスが加わって自律神経系を乱します。それが度を越せば、循環器系、内分泌系、消化器系と身体の不調になって表れます。でも、彼女と休日に歩けば心地よい負荷となって精神にプラス効果をもたらす。食べ物やたばこなど嗜好品の有害議論も同じです。健康のバロメーターは人それぞれで、一部集団の利益のために情報が統制されるのはおかしなことなのです」
たばこについては、禁煙目的の代替品として登場した「無煙たばこ」ですら発がん物質が含まれるとして、一部の識者らが危険性を呼び掛けている。
「健康に悪いという決めつけが定着すると、その観点のみで社会的排除が起こり、人がなぜそれを求めるのかを考える余裕が失われます。その代表がたばこです。どこまでも健康を求め、異常の排除に邁進する社会は、生きることの楽しさ・充実さを大切にしようとする姿勢や、それを受け止める寛容さを失っていきます」(前出・上杉氏)
どんな健康情報が錯綜しようとも、日本人の平均寿命は83歳と延び続けている。ならば、いたずらに将来不安を募らせるよりも、健康とは何か、生きる意味とは何かをポジティブに考えたほうがよさそうだ。