アニメ界の巨匠、宮崎駿監督(72才)が、最新作『風立ちぬ』を最後に引退宣言したが、周囲はある問題に気を揉んでいるという。 「宮崎さんの後継者をどうするのか、ということです。日本のアニメ界を引っ張ってきたスタジオジブリは、いわば“宮崎駿ありき”の会社だったので、誰が後を継ぐのか、というのが今、死活問題なんです」(映画関係者)
後継者の最有力候補と目されていたのは、長男の宮崎吾朗氏(46才)だ。吾朗氏は大学卒業後、建設コンサルタントを経てスタジオジブリに入社し、2001年から「三鷹の森ジブリ美術館」の初代館長を務めた。
偉大な監督を父にもつ吾朗氏だが、幼少の頃から父とは疎遠だったという。
「宮崎さんは帰宅時間も遅く、吾朗さんと遊ぶことはほとんどありませんでした。吾朗さんはアニメと雑誌のインタビューで父親を知るくらいだったんです。成長してからは、どこに行っても“宮崎駿の息子”という肩書がついて回ることが嫌で仕方なかったとも言っていました」(吾朗氏の知人)
そんな親子が確執を深めたのが、2006年に公開された『ゲド戦記』だった。ジブリの鈴木敏夫プロデューサー(65才)の勧めで、まったくの未経験ながら吾朗氏が初めてアニメ映画の監督を務めることになった作品である。
「宮崎さんはもともと、『ゲド戦記』の原作が好きで、自らの手で映画化を望んでいたんですが、“映画の2時間という枠には、自分が描きたいことは収まらない”と泣く泣く断念していたんです。それなのに鈴木さんの勧めとはいえ、素人の吾朗さんがいきなり監督を務めることを知り、“あいつにできるはずがない!”と猛反対したんです」(前出・映画関係者)
このとき、監督をやるやらないを巡り、親子は机を叩きながら怒鳴り合いの大喧嘩を繰り広げたという。吾朗氏は当時の2人の様子を、インタビューでこう明かしている。
<実際、(映画製作が)終わった後も二年ほど口きかなかったですからね。廊下を歩いていても、「あ、いる」と思うとお互いスーッと進路を変えてました>
その後、一応関係は修復され、2011年には「脚本・宮崎駿、監督・宮崎吾朗」という親子コンビで製作した『コクリコ坂から』が公開され、興行収入44億円の大ヒットとなった。
この時、宮崎監督はこの企画をやってよかったと満足気に語り、息子の功績も認める発言をしていた。しかし、真意は別にあったと宮崎監督の知人が明かす。
「宮崎さんは、このときから『風立ちぬ』を製作する計画を持っていました。ただ舞台である“少し昔の日本”というテーマが、現代の日本人に受け入れられるか迷いがあったそうです。
ですから、『風立ちぬ』の布石として、一度、別の作品で試しておきたいという思いがあって、吾朗さんを使って『コクリコ坂から』を製作したんです。表向きでは吾朗さんを褒めていましたけど、あくまで迷いを振りほどいてくれた感謝の意味であって、彼をアニメーターとして認めたわけではなかったんです」
※女性セブン2013年9月19日号