韓国がスポーツを国威発揚の場としか見ないのは、まさに後進国の姿である。スポーツの政治利用は数々の悲劇も生んだ。その歴史からいつまでも学べないのが韓国という国なのである。首都大学東京名誉教授の鄭大均氏が解説する。
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7月28日、ソウルの蚕室五輪スタジアムで行なわれたサッカー東アジア杯の日韓戦で、韓国の応援席に「歴史を忘れた民族に未来はない」の横断幕が掲げられた。文禄・慶長の役で日本軍と戦った李舜臣や伊藤博文を暗殺した安重根といった「反日英雄」の顔も見られた。
そもそも韓国人が歴史を知っていて、日本人がそれを忘れているなどという現実がどこにあるのか。
やましい歴史のない国なんてないし、どの国にだって忘れたい歴史はあるのだろうが、筆者の見るところ、日本はその歴史のやましさを比較的率直に表明している国である。
一方の韓国はというと、歴史を知っているというよりは、誤った歴史を知っているといったほうが正確であろう。古代史において先進文化を伝授した韓国の恩に、近代史において日本は仇で報いたというのが、韓国史における日本のイメージであり、日本は絵に描いたような悪者に仕立てあげられている。
それが韓国の公定史観(典型的には教科書の記述)であり、学校教育は日本への敵意や憎悪を育成しているといってよい。注意すべきは、スポーツ選手たちにはその「太極戦士」としての役割がしばしば期待されてしまうということであろう。
世界の表舞台に立つスポーツ選手には一方では、ナショナリズムに対する自己コントロールの力が期待されるが、韓国選手の場合は、他方でナショナリズムの代弁者としての役割が期待されてしまう。朴鍾佑選手のロンドン五輪での「独島パフォーマンス」にはその意味で痛々しさがあった。
日韓はいま新しい摩擦の時代を迎えている。1965年の国交正常化以後の日韓はそれぞれが「攻めの韓国」に対する「逃げの日本」という役割分担を担ったが、それをよしとしてはならない。
※SAPIO2013年10月号