社会現象ともなったNHKの朝ドラ『あまちゃん』は、8月末に平均視聴率23.9%と番組記録を更新し、大ヒットとなった。なぜかくも多くの国民が夢中になったのか。『あまちゃん』とは日本人にとって何だったのか? 評論家の坪内祐三氏が語る。
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「あまちゃん」で特筆すべきはその時間だ。
まず、「あまちゃん」は二〇〇八年夏から始まる。
そして二〇〇九年、一〇年、一一年(この原稿を書いている今日は二〇一一年三月十一日が描かれた日だ)と進み、その間のあまちゃんの変わらなさ、そしてそういうあまちゃんによって周りの人間が変わって行く(良い方向に向かって行く)様子(例えばただのやり手業界人だと思われていた荒巻の潜在的善人性が引き出される)が描かれる。
小説のジャンルに一人の若者が成長して行く「教養小説」があるが、それをもじって言えば「あまちゃん」は「教養ドラマ」だ。
しかもこの「教養ドラマ」が凄いのは、先にも述べたように、成長して行くのが、若者(あまちゃん)ではなく、周りの大人たちであることだ。そこがとても新しい。
そして「あまちゃん」にはもう一つ別の時間が流れている。もちろん一九八四年からの時間だ。その時代設定が絶妙だ。
この年あまちゃんの母天野春子はアイドルを目指して上京し、「君でもスターだよ!」というテレビ番組で見事優勝するのだが、その番組はこの週で打ち切られ、歌手デビューの道がとざされる。
実際、この一九八四~五年という年は従来型のオーディション番組が勢いや影響力を失い、「夕やけニャンニャン」を中心に“普通の女の子”がアイドル化して行った頃だ。
一九八五年に小泉今日子は「なんてったってアイドル」をヒットさせるのだが(「夕やけニャンニャン」も「なんてったってアイドル」も秋元康が関わっていることに注目)、実は小泉今日子は日本テレビの「スター誕生!」出身で、デビューした一九八二年にはTOP10ヒットがなかった。
つまり小泉今日子は旧来型のアイドルとして出発し、新しいアイドルへと変貌して行ったのだ。
一九八四年からの数年とはそういう時代で、「あまちゃん」は見事にその頃の空気をすくいとっている(その点で同年をタイトルに持つ村上春樹の長篇小説より全然上だ)。やがて来るバブル景気を間近に控えた時代。
そしてもう一つ「あまちゃん」を流れる時間がある(正確には「を」ではなく「と」だ)。それは現実の時間だ。
先にも書いたように今日は九月二日。つまり「あまちゃん」が始まってまだ五カ月しか経っていない。
しかし毎日朝八時から「あまちゃん」を見、時には昼の再放送を見、あまりにも濃密な日々を過ごしている。
五年後、十年後に振り返った時、二〇一三年の春と夏は「あまちゃん」と共にあった春夏として記憶されるだろう。「あまちゃん」が終わったあとの、つまり時間を失ったあとの虚脱感が私にはおそろしい。
【つぼうち・ゆうぞう】1958年東京都生まれ。雑誌『東京人』編集を経て執筆活動へ。
※週刊ポスト2013年9月20・27日号