最終プレゼンで重要なトップバッターを務めたのが佐藤真海選手(31才)だ。早稲田大学在学中の2001年に骨肉腫を患い右脚膝下を切断。その後は義足のアスリートとして、走り幅跳びで3度もパラリンピックに出場した女性だ。
そんな佐藤選手がトップバッターの大役を告げられたのは、ブエノスアイレスに渡るわずか1週間前のことだった。
「あまりの大抜擢に、彼女は心底驚いたようですが、すぐに心を切り替えて毎日リハーサルを重ねました。お風呂の中で繰り返し繰り返し、スピーチの練習をしたそうですよ。時には気持ちが高揚して、練習中に号泣してしまうこともあったそうです」(スポーツ紙記者)
佐藤選手は、右脚膝下切断以外にも、大きな試練を経験していた。
彼女の実家は宮城県気仙沼市。東日本大震災で、実家が被災したのだ。佐藤選手はプレゼン中、スクリーンに映し出された被災地の様子をじっと見据えていた。そして、被災地で子供たちと一緒にさまざまな運動をして、スポーツの力で彼らの笑顔が取り戻されていったことを訴えかけた。
「招致委員会では、ネガティブに受けとめられるかもしれない震災関連の話をできるだけ避ける方針でしたが、佐藤選手だけは、“この話はどうしてもしたい”と、招致委員会が作成した原稿に、自分で震災の内容を書き加えてプレゼンに臨んだんです。結果的に、スポーツの力を誰よりも信じる彼女の信念が、IOC委員たちの胸を打ったんだと思います」(前出・スポーツ紙記者)
※女性セブン2013年9月26日号