<あまちゃんが終わるときが刻一刻と近付く。PASDにびびり始めている>
<PASD対策のためにも、ぜひ続編を>
<多数の国民がPASDに陥らない施策を講じるのが国営放送に課せられた急務!>
いまツイッターで飛び交っている耳慣れない「PASD」の4文字は、「あまちゃん後ストレス障害」(Post Ama-Chan Stress Disorder)のこと。9月28日放送の『あまちゃん』最終回の後に訪れるであろう喪失感を、PTSD(心的外傷後ストレス障害)をもじってそう呼んでいるのだ。
この造語を初めてツイートした在米映画評論家の町山智浩氏は、午後6時45分からの現地放送を、家族で夕食を囲んだ後、楽しんでいる。
「この言葉は僕じゃなくて、カミさんが考えたんです。13歳の娘が『あまちゃん』にはまりすぎているので、カミさんが『あなた、放送が終わったらどうするの。ポストあまちゃん症候群になるんじゃないの』って心配したんですよ」
町山氏も自身のPASDを心配している。
「子供の頃に『ウルトラセブン』が終わった時はものすごいショックで、何も考えられない抜け殻状態が続きました。今回もそうなるんじゃないでしょうか」
上智大学教授(メディア論)の碓井広義氏は、朝8時の放送を見て、夜に夫婦で録画を再び見る毎日だ。
「私もPASDが心配で心配で。1日に2度見るので、登場人物と一緒に暮らしている気がするんです。『あまちゃん』が終わることは、同居していた家族がいなくなるのと同じなんですよ」
この国民的ドラマは、日本人の日常生活に深く浸透してしまった。早起きして朝7時半からのBS放送を見る「早あま」、朝見損なった人にネタをバラす「あまバレ」、見ていない人を「なんで?」と問い詰める「あまハラ」など“あま語”も続々と誕生している。
40代の会社員男性(結婚10年・子供なし)は『あまちゃん』が夫婦の“かすがい”になっているという。
「『あまちゃん』が始まってから、夫婦の話題に困らなくなり、寄り道せずに帰宅するようになりました。先日も、なぜナレーションが春子に変わったのかを遅くまで話し合いました。放送終了後は再び夫婦の会話がなくなりそうで心配です」
PASDは9月末に国民病となるのでは──この懸念を、精神科医の樺沢紫苑氏は笑って否定する。
「PASDはもちろん病気ではありません。放送が終わって落ち込んだりやる気が出なくなったりするのは普通の心因反応で、ほとんどが時間とともに治ります。これは、娘を嫁に出す父親の心理と似ています。娘が嫁ぐ前は心配したり落ち込むことがあっても、送り出せば父親は意外にちゃんとやっていけるものです」
ちなみに樺沢氏は『あまちゃん』を見ていないという。PASDのこの苦しみ、わかるヤツだけわかればいい──。
※週刊ポスト2013年9月20・27日号