劇団四季が後世に語り継ぐ昭和と戦争――昭和の歴史三部作のひとつ『ミュージカル李香蘭』が4年ぶりに上演(東京・四季劇場[秋]にて、9月29日まで公演中)。初演から22年、回数は800回を優に超える。ファンからも“李香蘭そのもの”と呼び声高い、主演の野村玲子に直前に話を聞いた。
1991年の初演から22年上演されている『ミュージカル李香蘭』。彼女はずっと、物語の主人公である山口淑子さんの激動の半生――年端もいかない幼少期から、中国人女優・李香蘭として活躍した時代、そして日本人だと告白するまで―−を演じている。平和を願い、苦悩し、はらはらと涙を流す姿。総毛立つほどに争いや憎しみにおびえる場面。美しい中国語で妖艶に歌い上げるシーン。全身全霊で演じる彼女の姿は“本物そっくり”“李香蘭以上に李香蘭”と評判だ。
「22年演じていると意識しなくても勝手にセリフが出てしまうんですが、“慣れだれ崩れ=去れ”(舞台に慣れ、芝居がだれて崩れてしまったら四季の舞台に立つ資格はない)という四季のモットーがあるように、そうであってはいけない。常にまっさらな気持ちで台本を読み、譜面にあたる作業をやり直します」(野村)
例えば、“中国を愛し、日本を愛し”というセリフ。体に入っているけれど、愛するということに実感を持てているか、中国と日本という国の違いを実感できているか…。
毎日、朝8時半に劇団に到着。劇団の業務や後輩の指導をする一方で、ただひとり、稽古場にこもって5時間6時間と李香蘭に向き合う。
「冒頭の激しいシーン。あれも何百回とやっているので、その流れの中に巻き込まれないように気をつけなくてはいけないんです」(野村)
段取りに沿って何気なくできてしまうが、それではいけない。李香蘭は心から驚いて打ちのめされなくてはいけない。
「みんなの非難と負のエネルギーが激しい中で翻弄される。とにかく新しく感じなければなりません」(野村)
“野村玲子は作品ごとに血を入れ替える”と評する評論家もいる。
「そのつもりで、ですけどね(笑い)。過去に演じたキャラクターはわが子のようで。演目が終わったら離れなくてはいけませんが、体の中のどこかには住んでいる。先日まで向き合っていた『鹿鳴館』の朝子が去り、今は李香蘭がやってきて、愛しいわが子と再会しているんです」(野村)
「舞台化について、最初、山口淑子さんは慎重でした」と明かすのは、原作本『李香蘭 私の半生』の(山口さんとの)共著者である藤原作弥さんだ。
「ビバ・マンチュリア(満州帝国礼賛)にはなってほしくない、と言っていました。劇団四季からの通し稽古の見学招待が来た時は出来上がりが怖かったのか“あなたが行って来て”と山口さんに言われましたよ」(藤原)
しかしその不安は杞憂に終わったという。 “殺せ殺せ…”と、李香蘭が群衆に咎められ、裁かれるシーンから物語は始まる。
「イントロダクションから驚かされました。歴史が裁かれる暗示から始まった。満州も李香蘭も美化していないし、日本を正当化しているわけでもない。戦争のありのままが描かれている。だから稽古が終わってすぐ山口さんに電話で報告しました、大丈夫ですよと。それでも山口さんご自身が初めて劇場で観たときはとても驚き、感動もひとしおだったようです」(藤原)
その後、野村と山口さんは親交を深めてきた。
「山口さんは満州国が中国と日本の平和の懸け橋となるとひたむきに信じていらしたそうです。“本当に信じていたのよ、知らなかったのよ”とおっしゃっています」(野村)
そのひたむきな純粋さは、舞台の野村の姿となっている。
「すごい存在である李香蘭さんですから、そのイメージを持っているかたに少しでも納得していただけるようにと、あれこれ研究しました。何よりあの魅力的な目。とらえたら離さない、あの吸い込まれるような眼力をどう表現しようかと、化粧前にブロマイドを何枚もベタベタ貼って、床山さんとも相談しながら作り上げていきました」(野村)
※女性セブン2013年9月26日号