「被災地に、もうボールを蹴り始めた人たちがいる。その姿を撮りに行きませんか」
東日本大震災から3か月。スポーツカメラマンとして活躍する近藤篤さん(50才)の元へ、そう連絡が届いた。
「カメラマンとしての本能でしょうか、“被災地へ行かなければ”という思いは震災直後からずっと抱いていました。ただ、あと一歩を踏み出す勇気が出なかった。この一本の電話が、大きな後押しになりました」
しかし、実際に被災地の現状を目の当たりにした近藤さんは、大きなショックを受ける。
「正直に言うと、“ダメだ、おれなら立ち直れない”と感じました。もし自分が当事者だったら、真っ先に逃げ出しているだろうと。それほど絶望的な光景が広がっていたんです」
それでも、震災の爪痕がはっきりと残る場所で、人はボールを蹴っていた。
「被災地のあるサッカー指導者のかたが、子供がボールを抱えてうろうろしている姿を見かけたそうなんです。その姿を見たときに、我に返ったというか“このままじゃダメだ”と思った。震災から10日後にはチームの活動を再開したそうです」
することがない。でも時間はある。そして、サッカーボールと空き地がある。じゃあサッカーするか。それくらい子供たちの考えはシンプルだ。そんな無邪気な子供たちの行動が、近藤さんを含め多くの大人たちを救った。
そして近藤さんは世界各地を周って撮影した“ボールと人”のある景色が詰まったフォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)を出版した。
「先行きすべてが不透明な状況で、人々は不安を紛らわせてくれるようなものを求めていました。そんなときふと見ると、子供たちがサッカーをしている。ボールを蹴ることなんて、とてものんきな行為ですからね。ただでさえ悪いほうに考えてしまいがちな状況でしたが、“サッカーをしたい”という子供たちの素直な気持ちに、大人たちはうまく乗せてもらった。子供たちは、“スポーツで被災地に勇気を”なんて高尚なことは考えていませんから」
その後も、近藤さんは定期的に被災地を訪れては、サッカーのある風景を撮り続けている。
「例えば試合をしようとか、大会に出ようとか、“前進しよう”という思いを持った人は多くいます。被災地では、まだ満足にサッカーができる環境は整っていません。それでも人は、なんとかしてサッカーをしようとする」
実際に被災者と話して近藤さんが感じていた“ある違和感”の答えがそこにあった。
「震災後、被災者に対しての支援・援助が声高に叫ばれました。それは決して間違ったことではない。ただ、直接話を聞いてみて、ある種の “同情されたくない”という感情があるように思ったんです。別に大敗しても構わないから、同じ土俵に上がりたい、勝負がしたい、といったものです。
サッカーのルールの前には、みんなが平等です。ちゃんと練習しているチームはやっぱり勝つし、弱いほうはボコボコに叩きのめされる。そこには被災者も何もないんです。ピッチの上には、震災の前と変わらない世界が広がっています」
ピッチの上を被写体にした写真は、訪れるごとに増えていく。写っているのは、被災者ではなく、たくましいサッカー選手たちだった。
※女性セブン2013年9月26日号