9月21日、チェッカーズが『ギザギザハートの子守唄』でデビューしてから、30周年を迎えた。1992年末に解散したが、芸能界の歴史を振り返ると、チェッカーズはアイドルの歴史を変えたグループだったといえるだろう。
「それまでのアイドルは、学生時代に不良だったとしても、頑なに隠していました。しかし、チェッカーズはそのような過去をおおっぴらにして、むしろ売りにしていた。そして、下ネタもバンバン言った。もともとアイドルを志していなかったからこそ、できた芸当かもしれません」(芸能関係者)
1983年、チェッカーズは『退屈退治』をキャッチコピーにデビュー。リードボーカルの藤井郁弥(現・フミヤ)とリーダーの武内享は仕事を辞めて、福岡から上京。年上組(郁弥、武内、大土井裕二、高杢禎彦)は21歳を迎える年で、決して早くないデビューだった。翌1984年に『涙のリクエスト』が大ヒットし、一気にスターダムに伸し上がった。
「当時、バンド形態のアイドルグループは珍しかった。同時期に野村義男がボーカルとギターを務めるTHE GOOD-BYEがいましたが、そこまで爆発的なヒットはしませんでした。
また、チェッカーズは自分たちで作詞作曲をするアイドルグループの先駆者といえます。デビューシングル『ギザギザハートの子守唄』から『Song for U.S.A.』までの約3年間は作曲家の芹澤廣明氏のプロデュースでしたが、アルバムには自作曲も入っていましたし、シングルも『NANA』以降はセルフプロデュースに変わりました。シングルの曲調が似通い始めていた頃だったし、ベストのタイミングでオリジナルに移行したといえます」(同前)
『NANA』は過激な歌詞のため、NHKでは放送禁止になったが、その話題すらも追い風にし、当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)、『歌のトップテン』(日本テレビ系)で1位を獲得。その後も、『I Love you, SAYONARA』『ROOM』『夜明けのブレス』『ミセスマーメイド』などヒット曲を連発した。
1987年11月には、大阪城ホールで日本初となる円形ステージでのコンサートを行ない、前にも後ろにも360度観客がいる状態で演奏。1991年冬のコンサートでは、メンバーも観客も白い服を着てくるという『WHITE PARTY』を開催し、武道館中が真っ白に染まった。ライブプロデュース能力も長けていたのだ。
再結成を望む声も聞こえてくるが、二度と見られないからこそ伝説のグループになるのかもしれない。デビュー30周年となる9月21日は、藤井フミヤがパシフィコ横浜でツアーをスタートさせ、武内享は下北沢GARDENでソロライブイベント「ROCK ON」を行なう。