ヤクルト・バレンティンがついに王貞治氏の持つ日本プロ野球史上最多シーズンホームランの「56」を達成したが。大記録という「光」あるところには、必ずそれをお膳立てした者がいる。バレンティンの場合は阪神・榎田大樹が大記録の「影」となった。
福本豊の通算最多盗塁(当時)でも「影」ともいえる存在がいる。
1983年6月3日の西武戦で、阪急・福本は初回に二盗を決め、ルー・ブロックの持つ通算938盗塁に並んだ。同じ試合の9回、先頭打者だった福本は四球で出塁、次打者の内野ゴロで二進し、その後三盗を決め、新記録を達成する。
西武のバッテリーは森繁和-大石友好。記録を意識して二塁上の福本を再三牽制したが、実はこの牽制こそが、福本に火をつけてしまった。福本氏が証言する。
「この試合は9回の時点で5点差をつけられていた。負け試合で決めたくなかったから、本当は走りたくなかったんです。現に一塁に出た時点で、ベンチからは走れというサインが出たけど無視したからね。
でも森が何度も牽制してきよるから腹が立って、“ほな行ったろか”となった。こっちは走る気がないのに、牽制球ばっかり投げてくるからや。だから記録が、あんなしょうもない盗塁になってしもうた」
福本はシーズン最多盗塁の記録(当時は世界新で、現在も日本記録)も持つが、この新記録達成にも、牽制球が絡んでいた。1972年9月26日の南海戦。相手は捕手・野村克也である。
野村は福本が打席に立つたびに、「フク、走らんといてくれや。俺の生活がかかっとるんや」と囁いていた。実際、野村は福本の盗塁を大の苦手にしていた(福本に通算162盗塁を許し、刺したのは24回だけ)。
福本はその4日前にこの年104個目を達成、モーリー・ウィルスと並ぶ世界タイ記録をマークしていた。そしてこの日、3回裏2死から内野安打で出た福本は、実に13回もの牽制を受けながら、二盗を決めて新記録を達成する。
「13回もやられたら燃えるわな」と笑う福本氏。さすがの野村も試合後、福本に「お前のスタートはヤマ勘とちゃうな」と話しかけ、負けを認めたという。野村は後日、こう語っている。
「福本の出現で、各球団がクイックモーションを取り入れるようになった。一流の選手は野球の技術発展にも貢献する」
(本文一部敬称略)
※週刊ポスト2013年10月4日号