国交樹立40周年を迎えて、日越関係が活発化している。かつてベトナムに在住し「ハノイの純情、サイゴンの夢」の著書もあるフリーライターの神田憲行氏が語る。
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29日日曜日、ベトナムの「東遊運動」のリーダー、ファン・ボイ・チャウと日本人医師の交流を描いたドラマ「パートナー」(TBS系)がベトナムと日本の両国で同時放映される。今年は初めには安倍首相が首相になって初の外遊先としてベトナムを訪問。昨年の日本人のビジネスビザによるベトナム訪問は過去最高数に達したとも聞く。日本の新幹線と原子力発電所システムの売り込みも(その是非はともかくとして)活発化してきた。国交樹立40周年を迎えて、日本とベトナムの関係が賑やかになってきた。かつてホーチミン市でベトナム人相手に日本語を教え、彼の国を「第二の故郷」と思っている私にとって、両国の友好が発展することは単純に嬉しい。
もともとベトナムは親日国である。いささか古い資料になるが平成7年に発行された世界の教科書で日本がどのように紹介されているか翻訳した「世界の教科書にみる日本 ヴィエトナム編」(財団法人 国際教育情報センター刊)によると、小学5年生が習う「歴史5」の教科書から日本についての記述が始まる。高校1年生で習う「歴史9」の教科書には、1968年に日本の国民総生産がアメリカに次いで世界2位になったこと、テレビ、自動車などの生産高が世界一になったことに触れ、これを「日本の奇跡」と詳細に記述している。
私は1992年にホーチミン市で日本語教師をしていたが、月謝が平均的公務員の月給に相当するにもかかわらず、生徒さんが600人近くもいた。そのほとんどが日本関係の仕事をしたいと願う成人で、実際、彼らのうち何人かは大きな経済的成功を収めて、この20年で私個人との経済格差は逆転している。
ベトナムの有名な経済政策「ドイ・モイ」の立案者のひとりである元南ベトナム副大統領のグエン・スアン・オアイン氏(故人)も、京都大学経済学部に留学していて、生前に私がインタビューしたときも流暢な日本語で答えてくれた。
しかるに、我々日本人はベトナムについてどれだけ興味と関心があっただろうか。反日国家との関係修復に懸命になってはいるが、その何分の一かの関心を日本はベトナムや台湾といった親日国家にも正当に振り分けて来ただろうか。
たとえば先述の教科書には、第二次世界大戦中、ベトナムに駐留していた日本軍の政策によってベトナム人民が200万人餓死したと記述してある。例によって「200万人は大げさ」という国内の意見もあるが、ここで大切なのはベトナムも日本の軍政によってベトナムの人々が悲惨な境遇に置かれ、しかしそれを現在の我々に声高に突きつけようとしない姿勢である。
1994年ごろにも日本で「ベトナム・ブーム」のようなことが起きた。しかしあのときは私は簡単にブームに乗れなかった。ベトナムについて「人が1日1ドルで雇える国」というスローガンが引っかかった。「安価な労働力が魅力の国」とは、ベトナム人に対する敬意がなさ過ぎるではないか。1994年のブームはアメリカのベトナムに対する経済制裁が解除と日本からのODAが復活して経済協力が活発化したことが背景にあったが、そもそも日本がベトナムのカンボジア「侵攻」を理由にそうした援助・協力を拒否していたことをどれだけの人が知っていただろうか。ただ一人の日本人もベトナム政府に拉致されたこともないし、ただ一人のベトナム人も日本の工場を襲ったことがないのに。
今の日越関係の新展開も、膨張してきたベトナム市場の魅力、対中国の安全保障政策という背景がある。冒頭のドラマ「パートナー」の背景となる「東遊運動」とは、1905年に来日したベトナムの革命家・ファン・ボイ・チャウが抗仏運動のために日本留学を働きかけた活動のことだ。ベトナム人なら小学5年生で習う史実である。私もまだドラマは未見だが、「ベトナムの人々が日本に向けていた熱い視線」について多くの人が理解する機会になればと願う。