「生きる力」は時に奇跡的な物語をつくり出す。長野県の諏訪中央病院名誉院長でベストセラー『がんばらない』ほか著書を多数持つ鎌田實氏が振り返る。
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「命はやわじゃない」と叫んでいる42歳の杉浦貴之くんに出会った。彼は自分のことを「シンガーソング・ランナー」と呼ぶ。曲を作っては歌い、語り、がん患者さんを連れてハワイのホノルルマラソンにも何回も参加している。
彼は28歳のときにがんを宣告された。当時は猛烈サラリーマン。急激な腹痛に襲われて病院に行くと、腎臓から出血していたという。CTやMRI、血管造影検査など、ありとあらゆる検査を行なったが、原因は分からなかった。症状が治まったため経過観察になった。
3か月後再検査をすると、もの凄い速さで腫瘍が大きくなっていることが分かった。腎がんで、腎臓の外にも飛び出すほど。しかも一般的な腎がんではなく、未分化原始神経外胚葉腫瘍(PNET)という舌を噛みそうな病名を告げられた。
これは子どもの脳にできやすい腫瘍で、大人の腎臓にできるのは珍しいケースと説明を受けたという。当時は、20ぐらいの症例しかなく、全員が2年以内に死亡と厳しいこともいわれた。杉浦くん本人には余命までは告げられなかったが、両親が呼ばれ「早ければ半年、2年後の生存率は0%」の余命宣告を受けたそうだ。
若いから進行が速い。彼の場合も、わずか3か月間で腫瘍は急激に増殖していた。しかし、杉浦くんはがんの宣告を受けても、それほど切羽詰まった気持ちにはならなかった。
こういう人はときどきいる。嫌なことは右の耳から入って左の耳へと受け流すことができるタイプ。
彼は、友人ががんになったとき、書店で「がんは治る」という本を読んだという。自分ががんになったそのときに「がんは治る」という言葉だけが蘇ってきた。「珍しくて、増殖が速く、悪性度の高いがん」だということは残っておらず、頭の中は「がんは治る」という言葉だけが広がっていた。
手術を受け、抗がん剤治療を受けた。病室では、がんを克服する本と女性のハダカが載っている雑誌を交互に読みまくったという。
そんなことをしている内、本で読んだ、がんにかかり克服した人に会いたくなった。外出許可が下りるとすぐに会いに出かけた。
抗がん剤治療で眉がないので、母親からまゆ墨を借りて描き、帽子をかぶって新幹線に乗った。両親からは「退院してもう少し元気になってからでいいじゃないか」と諭されたが「今しかない」と思ったそうだ。
「本は読んだだけで勇気をもらえるんですが、本当かなという疑問もあった。もっと真実を知りたかったので、実際に会いに行こうと思ったのです」
短絡的だけど、僕はこういう人が大好き。杉浦くんがやっていることは、理論的にいうとモデリングという技術で、成功した生き方を真似するのは、人生の生き方だけではなく、がんと闘うときにも有効なのだ。すでに早い時期から、がんが治ってマラソンを始め、ホノルルマラソンを走るということをイメージしていた。
この後、杉浦くんは「メッセンジャー」というがん患者のための雑誌を作って編集長になり、80人近いがん患者を連れてホノルルマラソンに参加している。
重い病気に勝つためにはとてもいい方法だったと思う。
その上、好きな人と一緒にマラソンを走ると、勝手にイメージしたら、本当に好きな女性を射止めて結婚までしてしまった。
28歳のときに余命半年と宣告された命が、42歳の今でも元気だ。その成功した理由が、モデリングというイメージ療法にあったことは否定できない。
※週刊ポスト2013年10月4日号