歴史小説家にとっては、「時代考証」などと大上段に構えなくても、それに類する意識や知識は、物語を描くうえで必須の素養である。では、日本人に大きな影響を与えた人気作家たちの場合はどうだったか。『時代考証学ことはじめ』などの著書がある編集プロダクション三猿舎代表・安田清人氏が解説する。
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バブルの時代、歴史・時代小説の世界は大きな曲がり角を迎えていた。昭和の中期から平成にかけて、この分野の牽引車として馬車馬の如き活躍を見せていた人気作家、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平の三人がこの間に亡くなったのだ。
それぞれ作風も、好んで取り上げる時代や対象も違ったが、なにしろこの三人の作品はよく売れた。そして現在も売れ続け、いくつもの作品が映像化されている。もしかすると、ある世代から下の日本人の歴史観のかなりの部分は、彼らの作品を「教科書」として形づくられているかもしれない。
そして、三人とも歴史そのものについての造詣が深く、作中人物を取り巻く時代風俗や時代背景を描く際に、時代考証の視点から知り得たさまざまな知識を随所に織り交ぜることで、「それらしさ」というリアリティを持たせることができる手練れであった。
司馬遼太郎は新たな作品に取り掛かるとき、あらかじめ膨大な資料収集をしたことで知られ、そのテーマについての資料本が神田神保町の古本屋街から消えるという「伝説」さえ残っている。
いうまでもないことだが、彼らが作家として後世に残る名声を得たのは、「歴史に詳しい」とか「資料本をたくさん読んだ」作家だからではない。作品が優れた内容で、読んで面白いからだ。しかし、その「面白さ」の中身に分け入ってみると、史実や時代風俗に詳しいということが、作品に歴史の重みや実在の人物の真に迫る迫力を付与する効果をもたらしたのも間違いない。
そして読者もまた、物語を楽しむだけでなく、そうした史実にまつわる微細なウンチクや、トリビア的な歴史知識を吸収し、自分の教養とすることに満足する傾向が、とくに司馬作品の読者に顕著にみられた。
■安田清人(やすだ・きよひと):1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年10月4日号