開幕からの21連勝で、56年ぶりにプロ野球記録を塗り替えた楽天・田中将大。前人未到の偉業を達成した楽天の本拠地・Kスタ宮城だが、今から35年前には元阪急の今井雄太郎氏が史上14人目となる完全試合達成を成し遂げた地でもある。今井氏のエピソードについて、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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開幕20連勝の世界新記録がかかった楽天・田中将大と、地元・東北出身の日本ハム・大谷翔平の初対決とあって、チケットは午前中に完売。完成したばかりの仮設スタンドもぎっしり埋まり、楽天の本拠地・Kスタ宮城は2万2316人の超満員となった。
田中は9回、スタンドから起きた「あと1人」コールに背中を押されて大記録を達成。盛り上がるファンを見ながら、この球場が同じく「あと1人」コールで湧いた“あの日”を思い出していた。
1978年8月31日のロッテVS阪急(現オリックス)戦。阪急・今井雄太郎が、史上14人目となる完全試合を達成した日だ。
当時は県営宮城球場という名で、隣接する陸上競技場の方がはるかに立派に見えるほど小さな球場だった。観客は4000人しか集まらなかったが、全員が大記録達成の瞬間を固唾を呑んで見守り、最後に自然発生的に「あと1人」コールが起きたのだ。
当時、今井は入団8年目。しかし、それまでの7年間で6勝しか挙げられていなかった。理由は極度の「あがり症」のためだ。ブルペンで投げる球は誰もが認める一級品であったが、「ノミの心臓」といわれるほど本番に弱かった。
ただ、酔うと別人のように肝っ玉が据わった。ある年のキャンプでは泥酔した後に宿舎の部屋を間違え、監督の部屋に闖入、「ここを誰の部屋だと思っている」と大暴れをして、上田利治監督に大目玉を食らったこともある。
これに目をつけられて、登板する前には度々ビールを飲まされていた。それが功を奏したのか、完全試合を達成したこの年は13勝を挙げるなど、阪急のリーグ4連覇に貢献。1981年、1984年には最多勝投手となり、41歳まで現役を続けた。
本人曰く、完全試合の時はビールを飲んでいなかったそうだが、仲間たちに言わせると、「前夜、国分町(仙台の繁華街)でしこたま飲んでいたから、二日酔いで同じようなものだった」という。
※週刊ポスト2013年10月4日号