プロ野球が人気スポーツの地位を得るきっかけとなった天覧試合は、1959年6月25日に後楽園球場で行われた。阪神が先制するも、5回に巨人が長嶋茂雄の本塁打などで逆転。6回に阪神が再逆転するが、7回には王貞治が「ONアベック本塁打」第1号を放って4-4の同点となった。
9回裏、新人の村山実がマウンドに上がると長嶋がサヨナラ弾を放つ劇的な幕切れで終わったあの試合を、阪神の先発をつとめた小山正明氏が振り返った。
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両陛下がお見えになることを聞いたのは1週間前。僕が日系二世のカイザー田中監督から先発を言い渡されたのは、試合3日前のことだった。
僕は終戦時、小学5年生。子供の頃は『君が代』が聞こえれば直立不動、お召列車が通過する時は日の丸の旗を持って頭を下げるという時代で、天皇陛下がどのような存在かはわかっていた。そのため緊張していたのか、僕も元ちゃん(巨人の先発・藤田元司氏)も調子が悪く、乱打戦になってしまった。ただそのおかげで、両陛下に野球の醍醐味を味わっていただくのには、相応しい試合内容になったのではないかと思う。
選手たちは、両陛下に野球を楽しんでいただきたい気持ちが強く、守備交代はもちろん、内野ゴロでも全力で走るなど、とにかく一生懸命のプレーを心掛けた。鳴り物も禁止されていたと記憶しているが、球場全体がいつもと違う雰囲気だった。
両陛下が9時15分までしか観戦できないというのは、グラウンドには伝えられていなかったが、長嶋のサヨナラ弾はその3分前というから、やはりスーパースターならではの演出だった。あれは完璧な本塁打。ベンチから見ていてもわかったし、捕手の山本哲也も三塁の三宅秀史も確認していた。ただ、やはり先発した試合が勝てなかった悔しさは今も残っている。
試合後、ベンチ入りした全員に菊の御紋入りの恩賜煙草が配られた。僕は煙草を吸わないので親父に持って帰ったが、親父が感激して見入っていたのを覚えている。
※週刊ポスト2013年10月11日号