2001年のペナントレースは、近鉄・西武・ダイエーの三つ巴となった。2ゲーム差の中に3チームがひしめいていた。
近鉄はここまで6連勝でマジックを1に減らし、9月26日のオリックス戦を迎えた。試合は5-2とオリックスリードのまま9回裏を迎え、マウンドには大久保勝信。ここまで防御率0点台で14S(セーブ)を挙げていた守護神である。
しかし、近鉄は怒濤の攻撃を見せる。吉岡雄二、川口憲史の連打に続き、益田大介が四球で無死満塁。ここで梨田昌孝監督は北川博敏を代打に指名した。北川は2日前にも、西武のエース・松坂大輔から代打本塁打を打っていた。
2-0からの3球目は、きわどい判定でボール。球場がどよめく中投じられた4球目、北川が外角のスライダーを振り抜くと、打球はセンター方向、大阪ドームの一番深い所へ消えた。
人呼んで「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」。5つの“役”がつく一打はもちろんプロ野球史上初の快挙。「いてまえ打線」の最後の主役は、阪神で6年間無本塁打だった「移籍組」だった。これは2004年に球界再編で消滅する近鉄にとって、最後のリーグ優勝となった。
2001年9月26日の大阪ドーム、あのときの代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを、いまはオリックス二軍打撃コーチをつとめる北川博敏氏が振り返った。
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梨田監督からは9番の古久保(健二・捕手)さんの打順で代打だといわれており、本当は7回の時点で出る予定でした。でもその回に川口が本塁打を打ったのでストップ。結果、9回のあの場面で出番が回ってきました。
無死二、三塁でネクストバッターズサークルに入った時は、「四球だけは勘弁してくれよ」と考えていました。僕に対してではなく、前の打者、目の前で打席に立つ益田に対してです。僕は併殺が多く、塁が埋まってしまうとゲッツーの危険があった。でも結局、四球で満塁になりました。
緊張して入った打席では、初球のど真ん中の直球にまったく動けなかった。次もファウルで、2球で簡単に追い込まれてしまった。ただ3球目は自信をもって見逃せた。判定も読み通りボールで、球の見極めはできていると確信し、これで地に足がつきましたね。4球目、打ったのはスライダーでしたが、ストライクだったので振り抜きました。
ホームでチームメートにもみくちゃにされていると、いつの間にか胴上げが始まっていた。サヨナラ打を打ったのにその輪に入るのが遅れていたのは、今だから言える笑い話ですね(笑い)。
●北川博敏/1972年生まれ。阪神、近鉄、オリックスを経て2012年引退。現在はオリックス二軍打撃コーチ。
※週刊ポスト2013年10月11日号