1996年6月12日、阪神甲子園球場での阪神・川尻哲郎と巨人・斎藤雅樹の投げ合いは、4-4のまま、延長12回裏に突入。阪神は1死一、三塁、一打サヨナラのチャンスで、打席には4番・新庄剛志を迎えた。
長嶋茂雄監督は8回に同点本塁打を放っている新庄を避け、満塁策を指示。槙原寛己は捕手・光山英和を立たせると、外角にボール球を投げた。しかし、振れば届きそうな距離に、新庄の目が光った。
「これはオイシイ」
──そして2球目、槙原が外角に軽く投げたストレートに飛びつく形で打った打球は、レフト前に転々とするサヨナラ打となる。まさかの結末に、甲子園は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。
新庄はその後も、数々のサヨナラゲームを演出しているが、“宇宙人”と呼ばれた彼らしく、ユニークなものが多い。例えば、日本ハム時代の2004年には2死満塁からサヨナラ弾を放ったが、喜びすぎて前の走者を追い抜いてしまい、アウト。せっかくのサヨナラ満塁本塁打が、サヨナラタイムリーになってしまったこともある。
敬遠したはずのボールを新庄にサヨナラ打とされてしまった14年前の試合について、打たれた槙原寛己氏が振り返った。
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バッターボックスから足が完全に出ていた。絶対にベースを踏んでいました。それは打つ瞬間にもわかったし、今でもそう思っている。長嶋監督や原辰徳コーチが、「審判、足が出ているじゃないか」とすっ飛んできましたから。
でも、あとの祭りだった。当時はビデオ判定もなく、甲子園球場ということもあって球場全体が大騒ぎで、収拾つかない。阪神ファンの興奮に声がかき消されてしまった。
敬遠球を打つには、打席から足を出さないと無理だと思っています。ただ足がどうこうではなく、投手としてはやってはいけないミスであるのは事実。敬遠球は打者のバットが届かないところに、ワンバウンドしないよう、高い球を投げるのが鉄則ですからね。
初球がたまたま低目になって、「もっと遠くに投げないといけないな」とは思っていたけど、不用意に投げてしまった。試合後、長嶋監督からは何も言われませんでしたが、投手があんな形でチームに負けをつけてはいけない。捕手の光山と一緒に反省しました。
実はその後、敬遠をする機会はありませんでした。僕にとってはあれがキャリアで最後の“敬遠”でしたね。
●槙原寛己/1963年生まれ。1990年代の巨人のエースとして活躍。通算159勝。
※週刊ポスト2013年10月11日号