「がんばろうKOBE」の名のもとに1995年に続き連覇を狙ったオリックス。田口壮、本西厚博、イチローという鉄壁の外野陣を中心に、仰木彬監督の“130通り”といわれた日替わりオーダーで勝ち進み、9月23日、勝てば地元で優勝という大一番を迎えていた。
試合は白熱したシーソーゲームとなった。初回、日本ハムが1点を先制すると、2回にはオリックスが高橋智の2ランで逆転。4回、日本ハム・デューシーが2ランを放って再逆転すれば、オリックスは6回、7回にイチローの本塁打などでまたも試合をひっくり返す。またリードを許して迎えた9回裏、2死まで追い込まれたが、D.Jの土壇場での同点弾が飛び出すなど、大一番に相応しい好勝負となった。
試合を決めたのはやはりイチロー。10回裏、ヒットで出塁した大島公一を一塁に置き、日本ハム・島崎の2球目を捉えた打球はレフトへ。大島が一気に本塁を突いたその瞬間、イチローは二塁上で飛び上がり、喜びを爆発させた。
「22年間で一番嬉しい」と語ったイチロー。この年は球宴で投手として登板するなど、話題を独占した年となった。
1996年9月23日、前日の試合で先発したためグリーンスタジアム神戸のロッカールームで優勝の瞬間を待っていた、当時のオリックスのエース、野田浩司氏が当時を振り返った。
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一番はしゃいでいたのはイチロー。あのクールな男のガッツポーズを見たのは初めてだった。
前年の優勝も、阪神大震災からの復興を歩む神戸で決めたかったが、マジック1にしてからの地元4連戦で全敗し、その夢は叶えられなかった。そのため、この年は地元での優勝が目標となった。それをサヨナラという形で自らたぐり寄せたのだから、自然にガッツポーズが出たのだろう。
私は前日に先発したため、ロッカールームでテレビを見ながら胴上げのために待機していた。しかしこの試合の展開は一進一退で、8回表に再び逆転された時は、あきらめてユニフォームを着替え始めていた。
ところが、9回裏に2死からD.Jが代打同点弾を打った時は、ベンチの雰囲気が一変した。この年はそれまでにサヨナラ勝ちが9試合もあり、6回に同点弾を打ったイチローが10回裏に打席に立った時点で、ナインの期待は確信に変わった。私も気が付いた時はグラウンドに飛び出していた。
V2はもちろんだが、何よりも地元での胴上げが達成できたのが嬉しかった。
●野田浩司/1968年生まれ。阪神を経てオリックスのエースとして活躍。最多勝1回、ゴールデングラブ賞1回、通算89勝。
※週刊ポスト2013年10月11日号