【書評】『出訴期限』スコット・トゥロー/二宮磬・訳/文藝春秋
【評者】柳亜紀(弁護士)
弁護士にとって、どんな裁判官と相対するかは気になる問題だ。新人の頃、マンションの敷金を大家から取り返す訴訟をしたことがあった。裁判官は高齢の穏やかな人。部屋の傷みの程度からして敷金を不当に取りすぎており、こちらは余裕で勝つ気で臨んでいたら、借り主が猫を飼っていたことが発覚。
ペット嫌いらしい裁判官が過剰に反応し、「猫は臭いからダメ!!」とコロッと態度を変え、急に旗色が悪くなったことがあった。裁判官の性格や経験で裁判の勝敗が変わることがあると、リアルに感じた瞬間だった。
ベストセラー『推定無罪』の著者の最新刊である本書は、リーガルサスペンスとしては珍しく、裁判官に焦点をあてている。主人公は上訴裁判所の判事メイソン。学生4人が意識のない15才の少女をレイプした事件の上訴審を担当している。
犯行の一部始終を撮った証拠ビデオは胸が悪くなるほどで、厳罰を下した一審を維持したいところだが、この事件、日本でいうところの公訴時効を過ぎて出訴されているのだ。法を厳格に適用したいメイソンは頭を悩ませるが、それよりもメイソンを苦しめるのは、よみがえった40年以上前の記憶だ。彼自身、学生時代のパーティーの夜、それに近い行為をしたことがあったのだ…。
ミステリの要素としては、メイソン宛の執拗な脅迫メールの犯人捜しのみ。法廷シーンも少なく派手さはないが、判決を出すまでの主人公の心の揺れや悩みが過去の回想ととともに丁寧に書き込まれる。
一般に、裁判官といえば常に冷静で、法律と判例にのっとって決断する人間味のないイメージかもしれない。実際、ふだん仕事で接していても、目で見える証拠がすべてで、それ以上は頭を悩ませることなく冷徹に決断しているように見えて、「もっと真実をみてよ」と、不満に思うことも多い。
しかし、裁判官も法衣の下は、メイソンのように人間くさい。何からの干渉も受けない高度な独立性をもつ職業だが、それは常に自分自身で「決断」しなければならない孤独な仕事ということだ。そんな裁判官の内面を体感できる作品である。
著者が現役の弁護士だけあり、法曹界の人間描写も巧い。検察官や弁護士を出来の悪い生徒のように扱って足をすくおうとする裁判官。テレビカメラの前での過剰な演出に長けたイヤミな有名弁護士。
日本にもいます、こんな人。
※女性セブン2013年10月17日号