およそ80年におよぶプロ野球の歴史で、名将と呼ばれる監督といえば様々な顔が浮かぶだろう。そのなかから、セ・パ5球団の監督を歴任し魔術と呼ばれた采配で知られる三原脩について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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セは巨人、パの楽天の優勝が決まった。そんな中やたら目立ったのは「三原脩」の名前だ。巨人・原辰徳監督の6度目の優勝、楽天・星野仙一監督の3球団目の優勝が、それぞれ三原と並んだというのが理由である。
三原は鶴岡一人、水原茂とともに戦後プロ野球界の3大監督といわれる。特に、同じ香川県出身の水原とは好対照で、永遠のライバル。水原の復員と同時に巨人監督を追われる形で西鉄に移り、その巨人相手に3連覇を果たしたのはあまりに有名だ。
松竹の女優を夫人にした慶大のエリート・水原とは違い、大学近くの喫茶店のマドンナと恋に落ち、学生結婚をした早大の三原は庶民に近い存在だった。
同じ「脩」という名前が縁で、ヤクルト監督時代の三原に人を介して紹介してもらい、挨拶に行った時だ。「1週間くらい、出勤前にウチに来て、朝食でも食べたらどうだ」と誘われた。初日、「玄関の庭石には打ち水がしてあったか?」と聞かれ、答えられなかった。
そこで、次の日こそしっかりと見ておこうと出かけると、今度は「椿の蕾は開き始めたかな」と来る。人に会う時は、必要以上の気配り、目配りをしろという意だった。
同じ“洗礼”を受けた者が、選手で1人だけいる。近鉄、オリックスで監督をやった仰木彬だ。三原の西鉄監督時代のこと。遊びたい盛りの若者が、ナイター明けに毎朝三原の朝食会に通うのは辛く、1日だけ遅刻したことがあった。
その時、三原は朝食を食べずに待っていて、仰木が姿を見せると、仰木に対して「場末の安い酒を飲むから二日酔いをする。一流の場所で一流の酒を飲め」と、叱りもせずに小遣いをくれたというのだ。
「叱ってくれるならば、クソって反発もするけれど、小遣いだからな。参っちゃったよ」
仰木は後にこう語っていたが、人使いのコツはこの時代に教わったと懐古していた。
※週刊ポスト2013年10月18日号